Colabo騒動を見ていて思うこと

女性A派と、女性B派. 女性間の対立


同じ『女性』でも「性産業の実態は女性虐待である」と考える女性A派と、「勝手に決めつけるな、私は誇りを持って性産業で働いている」と答える女性B派の、二派が存在する。

この両者の価値観・考えの隔たりは大きく、話し合いで和解や妥協に辿り着けるものではない。なので、この両者がどちらが正しい・間違っていると議論する必要はないと思っている。

ただ、そんな両者でも合意できる点はあるはずで、例えば「未成年の売春に反対」には合意できるはずだし、「不本意な性産業での就労の回避」でも合意できるはずだ。

性産業の存在自体を悪とみる女性A派は不満足と思うかもしれないが、ひとまず女性A派と女性B派はいたずらに対立するのではなく、この合意できる点を「世の中で守られるべきライン」として共有すればよいし、このラインはColaboの設立理念とも一致しているはずだ。

この「未成年の売春」「不本意な性産業での就労」の根底に「若年女性の貧困問題」があるのなら、政治はその解決に取り組むべきだし、今現在貧困の最中にいる女性への支援は誰かがしなければならない事であり、この点においては女性間に何の対立もないはずなのだ。


では、男たちはこの問題とどう向き合うのか?


Twitterなどでは「自分はAV女優・性産業で働く女性の味方だ」と宣言している男たちがいるが、性産業の世界では「消費者」となる男性が、女性A派と女性B派の対立を煽り、女性B派の味方ポジションから女性A派を叩くのは違うと思うし、女性B派がそんな男性たちを同じ敵と戦う味方として認定するのも違うと思っている。

私も男なので男たちの本音を見聞きする場面に出くわすのだが、実感として「消費者」である男たちは女性の人権なんて考えていないし、女性を尊敬もしていない。むしろ男たちは性産業の提供する商品・サービスを消費する一方で、本音の部分では性産業で働く女性たちを心底軽蔑していると感じることが多々ある。そんな男たちが本当の意味で「女性」の味方なはずがない。

彼らは自分たちが享受している商品やサービスが無くなるのを危惧し、性産業とその消費者である自分たちを蔑視してくる女性A派との対立において、同じく女性A派と対立している女性B派を都合よく利用し上手く取り込んでいるだけなのが実情だろう。
この点は、女性B派も消費者である男たちを(内心では軽蔑しつつ?も)味方にして上手く立ち回っていて共犯関係にあるように見える。だがここには自己矛盾がある。女性B派は性産業で働く女性への差別に反対しているが、その実、性産業で働く女性を差別しているのは女性Aではなく、その味方である消費者の男たちなのだ。
今回の騒動の中でも「性を売り物にする女がいる限り、女を男と対等な存在とは認めない」という男たちの本音が散見されている。彼らは女性A派を叩き、女性B派の味方をしつつ、内心「女性」を蔑視している。
一部の「女性の地位向上」や「男女平等」を重視するフェミニストが「性を売り物にする女」を否定するのは、この男たちの本音がわかっているからでもあるのだ。

そんな男たちが女性間の対立に便乗して、「結局最後は、女の敵は女だ」と訳知り顔をして高みの見物を決め込んだり、正義の味方でもあるかのようにふるまって嬉々として女性A派をバッシングしている姿を見ると私は虫唾が走る。

男として、人間として、少しは誠実であろうとは思えないものなのか?
それとも、「正直」も「誠実」も、「人権」も「人道」も、「いい子ぶるな」と笑うのか?
男たちは本当は「自分には女性A派を叩く資格なんてない」とわかっているはずだ。それなのに男たちは嘘をついている。

嘘、嘘、嘘。世の中は、何もかも、嘘の上に成り立っている。男も女も嘘ばかり。この男の嘘と女の嘘で成り立っている世の中で、「女を買う男を軽蔑する」と本音を公言する女性たち叩かれるのは、ある意味必然なわけだ。





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