
親魏倭王、本を語る その24
【本格vs.社会派という不自然な対立】
「社会派推理小説」の先駆となった松本清張は、推理小説に社会小説の要素を取り入れたが、『点と線』で時刻表トリックを使っていることからわかる通り、比較的トリックを多用する作家だった。
よく「本格vs社会派」という対立構図を目にするが、これは変な対置のしかたで、本格は推理小説の形式、社会派は推理小説の内容に基づく呼び方だ(と自分は認識している)から、対立関係にはなり得ないと思うのである。松本清張の推理小説(特に『点と線』)を形式で分類するなら「本格」としか言いようがないだろう(鮎川哲也の『黒いトランク』と比較してみれば良い)。松本清張は推理小説に社会小説の要素を取り入れた点で革新的な作家だったが、推理小説のスタイルは伝統を踏襲している。
では「本格」と本来対置するのは何かといえば「変格」で、これは推理小説だがサスペンスなど謎解き以外の部分に主眼が置かれているものの総称だった。謎解きに特化した推理小説が「本格」という位置づけだった。
【謎の提示が弱いミステリー小説の話】
アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ譚の中には、一部、「これはミステリーと呼べるのか?」という作品がある。第一短編集が『シャーロック・ホームズの「冒険」』と銘打たれている所以かもしれないが、その代表的なものが「技師の親指」で、どこかから逃げてきたらしい技師がワトソン博士に「自分が指を失った顛末」を話して聞かせる。そこからホームズが現地調査に乗り出すのだが、技師の話は彼の語りの中で完結していて、一見、謎は提示されていない。
ホームズ譚は『シャーロック・ホームズの事件簿』を読み残しているので、全話読破できたわけではないのだが、そうしたミステリーと考えるには謎の提示が弱い作品がいくつか含まれていて、ある意味柔軟な印象も受ける。
G・K・チェスタトンのブラウン神父譚の巻頭を飾る「青い十字架」は謎の提示こそあるものの、読者向けの手掛かりの配置は無く、読者はただ読み進めていくだけの作品になっている。
【ウィルキー・コリンズの話】
推理小説前史を語る中でチャールズ・ディケンズとウィルキー・コリンズに対して頻繁に言及しているが、実はディケンズは『クリスマス・キャロル』と短編「追いつめられて」「信号手」、コリンズは短編「探偵志願」「恐怖のベッド」しか読んでいない。『月長石』は持っているが、まだ未読。
どちらも優れた小説家だが、『オリバー・ツイスト』などの大河サクセスストーリーのイメージが強いディケンズより、『白衣の女』などサスペンスにこだわったコリンズのほうが僕の性にあっているかもしれない。
最も、ディケンズも『バーナビー・ラッジ』など広義のミステリーに属する作品は書いていて、作風という点ではサスペンス・スリラーに特化したコリンズよりディケンズのほうが幅広いといえるだろうか。
フランスに目を向けるとアレクサンドル・デュマやヴィクトル・ユゴー、アメリカではハーマン・メルヴィルらがほぼ同時代の人で、世界的に長編大ロマンの全盛期だったようである。