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親魏倭王、本を語る その16

【G・K・チェスタトンのトリック創案率】
G・K・チェスタトンのブラウン神父シリーズはトリックが豊富に用いられていることで知られる。短編ミステリーブームの火付け役となったコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズにもトリックが用いられた作品はあるが、19世紀末~20世紀初頭の他の作家と比較して、チェスタトンのトリック創案率の高さは群を抜いているように思える。
この時代の作品は、今まで傑作集という形でしか紹介されてこなかったので、一作家当たり単行本1冊、おおよそ10篇程度しか読めなかったため、その作中でトリックが用いられた作品がどの程度あるのかがいまいち把握できていない。ブラウン神父シリーズはほぼ全作が邦訳されたため、完訳されているホームズシリーズと比較できるのである。
結局、シリーズの全作品を読まないとその作家のトリック創案率については議論できないわけだが、同時代の作家でとりわけチェスタトンがトリッキーな作風だったのは間違いないと思われる。

【『ガリヴァー旅行記』の後半】
10月19日はアイルランドの文筆家、ジョナサン・スウィフトの命日だという。代表作の『ガリヴァー旅行記』はジュヴナイルとしても刊行されているので知名度が高いが、ジュヴナイル版は前半の小人の国と巨人の国で終わっていることが多いようで、どのような結末を迎えるのかは意外と知られていない気がする。
後半は天空の国ラピュタと馬の国フウイヌムが舞台である。ラピュタは映画『天空の城ラピュタ』が下敷きにしているため、よく知られている。
最後のフウイヌムだが、フウイヌムの主な住人は馬の姿をしているが高貴かつ知的である。一方、同じ土地に暮らしているヤフーという一種の猿人はことさら野蛮に描かれている。フウイヌムでの出来事に思うところがあったガリヴァーは、帰還後、人付き合いから遠ざかり、厩舎で馬と過ごすようになる。 ジュヴナイル版(特に抄訳版)は全体にマイルドになっているようだが、元は風刺小説であり、実際はかなり毒気が強いようだ。

【評価されなかったエドガー・アラン・ポー】
本国アメリカ合衆国においてはポーの作品は長い間正当な評価を受けておらず、一部の愛読者からの賞賛をのぞくとその文学的地位は低く留まっていた。
ポーの作品がアメリカで受け入れられなかったのは、ひとつにはアメリカ文学がもともと清教徒の多い北部ニューイングランドで起こったものであり、文学界で指導的地位を持っていたのが北部の批評家や出版社だったため、南部の文学が軽んじられていたという理由による。英米では当時、作品の善し悪しの判断は倫理性、道徳性や啓蒙性の有無に基づいて行なわれており、そのため耽美的、退廃的な傾向のあるポーの作品は高い評価を受けることができなかった。以上はWikipediaの当該項目からの引用だが、この辺りに、アメリカが宗教的保守思想の強い国であることが如実に表れているといえる。
同時代にポーは本国で全くと言っていいほど評価されず、フランスで高く評価されたという(ボードレールが心酔していた)。


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