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親魏倭王、本を語る その18

【シリーズの終え方】
アガサ・クリスティーは、自分の没後に発表することを条件に、ポアロものとミス・マープルものの最終巻を早い段階で書き上げ、出版社に預けていた。それが『カーテン』と『スリーピング・マーダー』である。前者はクリスティーの生前に発表されたが、その翌年にクリスティーは亡くなる。生前に発表した、事実上の最後の作品は、確かトミー&タペンスが主人公の『運命の裏木戸』だったと思う。
『カーテン』はポアロシリーズの幕引きを企図して描かれたもので、作中で描かれるポアロの死も含め、傑作にして問題作という言い方をされることが多いと思う。クリスティーのデビュー作である『スタイルズ荘の怪事件』の舞台であるスタイルズ荘が再登場するのは読者サービスだろうか。
一方、『スリーピング・マーダー』のほうはオーソドックスなミステリーになっていて、シリーズ最終作という意識的な仕掛けなどは施されていない。ただ、こちらは同作執筆後もシリーズ内で時間経過があり、作中で亡くなったとされている人物が再登場しているなど矛盾が生じている。これは、『スリーピング・マーダー』をそうした人物が存命していた頃の事件として読むことで、違和感なく消化できる。
シリーズの幕引きは誰もが気にするところだと思うが、モーリス・ルブランはシリーズの幕引きをうまくやったと思う。これが当初からの計画かどうかはわからないが、未解決で終わらせてあった『カリオストロ伯爵夫人』の続編『カリオストロの復讐』を晩年になって発表し、それで一区切りをつけた後、後日談的な2つの長編を執筆して終わっている。

【「内容紹介」の罠】
基本的に、小説は文庫本で読む主義である。持ち運びしやすいのもあるが、裏表紙にあらすじが書かれているので、選書時に内容を把握しやすいためである。単行本は見返しにわずかな量の内容紹介があるにすぎず、時には帯にあらすじが書いてあることもあるが、キャッチフレーズだけしか書かれていないものも多い。全体に、単行本よりはノベルスや文庫のほうが内容紹介は詳細である。
ただ、文庫本の内容紹介に、微々たるものだが明らかな嘘が書かれていることがあるので注意してほしい。僕が見つけたのは次の2例。
①『京都釘ぬき地蔵殺人事件』和久峻三
②『水曜島の惨劇』吉村達也
①は赤かぶ検事シリーズの1冊で、釘ぬき地蔵こと石像寺の伝説に準えた殺人事件が発生する。あらすじには死体の額に釘が刺さっていたと書かれているが、額ではなく首。
②はミステリー作家・朝比奈耕作ものの1冊で、後半は南洋の島が舞台。島で第二の惨劇が起きたように書かれているが、起きてない。


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