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下記は『アートがわかると世の中が見えてくる』(前﨑信也、IBCパブリッシング)という本からの受け売りである。 1 昔から文化・芸術・学問の発展にはパトロンの存在が大きかった。古く奈良時代は国家そのものがパトロンであり、平安時代は貴族、中世は武家、近世は大名や町衆、近代は実業家。寺社に至っては近代に入るまでずっとパトロンであり続けた。 今はどうかというと、パトロンが存在せず、芸術家の自助努力によるところが大きいと思う。国家(政府)は主に学問の世界において、逆に締めつけるよう
『徒然草』に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という一節がある。昔から、日本人は不完全なものにあえて美を見る感性を磨いてきた。例えば、花は満開ではなく五分咲きや七分咲きを愛で、満月のみならず三日月や十六夜月に風情を感じ、散りゆく紅葉に「あはれ」を見た。 日本美術においても「不完全」や「ありのまま」が求められ、また「余白」に美を感じた。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』というエッセイを書いているが、意図的に陰を残すことほど、日本らしいものはない。陰と陽の調和を愛で、あえてものを
人は生まれた瞬間には自我を持たないので、自分の名前を自分でつけることができない。したがって、名付けるのは他人である。多くの場合、名付けは両親が行うが、両親が自分で考える場合もあれば、姓名判断などで決めてもらうこともあるだろうし、祖父母に決めてもらったり、知り合いに名付け親になってもらったり、そのあたりは多様である。ただ、名前は後から変えることもできるが、多くの場合、一生使うものである。
インドやカンボジアの寺院遺跡のレリーフを見ていると、宮廷に仕えた踊り子と思しき女性たちがトップレスで表されている。「女性の胸は隠すもの」という思い(込み)がある私は、それを見て疑問に思った。いつから女性の胸は隠されるようになったのか?と。 最近、ドイツ・ベルリンの市営プールで、女性のトップレスが認められて話題となった。考えれば、水泳や格闘技で男性は常にトップレスで、公共の場で上半身裸でも特に咎められない。一般に露出過多なファッションになりやすい女性の胸だけが「性的」として隠さ
『神、人を喰う』(六車由実/新曜社)に概要が詳しく紹介されているが、愛知県の尾張大国霊神社に「儺追(なおい)祭」という祭礼がある。岩手県黒石寺の蘇民祭や岡山県西大寺の会陽と似た裸祭りだが、祭の次第は時代によって変容しているものの、選ばれた特定の人を打擲して形式的に追放していたと言われ、一種の厄払いの祭である。儺追祭の名称も、おそらく追儺(ついな)から来ていると思われる。この選ばれた人(儺追人)は、古くは恵方で生け捕りにされてきたそうで、祭の発端からかなり手荒だったようだが、江