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文化と美術

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主に日本の文化と美術について書いた記事を特集。
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アートについて

下記は『アートがわかると世の中が見えてくる』(前﨑信也、IBCパブリッシング)という本からの受け売りである。  1 昔から文化・芸術・学問の発展にはパトロンの存在が大きかった。古く奈良時代は国家そのものがパトロンであり、平安時代は貴族、中世は武家、近世は大名や町衆、近代は実業家。寺社に至っては近代に入るまでずっとパトロンであり続けた。 今はどうかというと、パトロンが存在せず、芸術家の自助努力によるところが大きいと思う。国家(政府)は主に学問の世界において、逆に締めつけるよう

不完全を愛でる

『徒然草』に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という一節がある。昔から、日本人は不完全なものにあえて美を見る感性を磨いてきた。例えば、花は満開ではなく五分咲きや七分咲きを愛で、満月のみならず三日月や十六夜月に風情を感じ、散りゆく紅葉に「あはれ」を見た。 日本美術においても「不完全」や「ありのまま」が求められ、また「余白」に美を感じた。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』というエッセイを書いているが、意図的に陰を残すことほど、日本らしいものはない。陰と陽の調和を愛で、あえてものを

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スケープゴート小考

『神、人を喰う』(六車由実/新曜社)に概要が詳しく紹介されているが、愛知県の尾張大国霊神社に「儺追(なおい)祭」という祭礼がある。岩手県黒石寺の蘇民祭や岡山県西大寺の会陽と似た裸祭りだが、祭の次第は時代によって変容しているものの、選ばれた特定の人を打擲して形式的に追放していたと言われ、一種の厄払いの祭である。儺追祭の名称も、おそらく追儺(ついな)から来ていると思われる。この選ばれた人(儺追人)は、古くは恵方で生け捕りにされてきたそうで、祭の発端からかなり手荒だったようだが、江

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