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歴史の小箱

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自作記事のうち、歴史に関わるもので特に読み応えのありそうなものをまとめました。
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#中国史

覇業を成す条件としての人臣

『三国志』の時代がいちばんわかりやすいが、覇業を成し遂げられる人間は同時に割拠していた他の軍閥と比べて家臣の層が厚い。曹操、孫権、劉備は皆そうであった。 当時、東漢(後漢)王朝が衰退する中で、州牧や郡太守といった地方の高官が土着して軍閥化していったが、全体的には自分の既得権益の保護に勤しむ人が多かったようで、劉表、公孫瓚、陶謙、馬騰らは政治の動向に無関心だったようだ。次に、王朝を完全に見限っている一派があって、袁術、劉焉がそれに当たる。袁術は皇帝を僭称し、劉焉は皇位につく野心

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『史記』と『漢書』を比較する

紀伝体を採用した中国最古の歴史書『史記』は、神代から漢の武帝の時代までを記した通史である。紀伝体の歴史書はその後も編纂されるが、それらは王朝ごとに編纂されているので「断代史」という。この最初のものは『漢書』である。

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滑稽 古代中国の洒脱な弁舌家たち

「滑稽」という言葉がある。ネガティブな意味も含めて「おもしろい」さまを表す言葉だが、当初、中国においては「弁舌さわやか」なさまを表した。初出は『楚辞』と思われ、司馬遷の『史記』や揚雄の『法言』などに見られる。司馬遷は『史記』に「滑稽列伝」を設け、弁舌でもって身を立てた偉人を顕彰しているが、彼らの多くは諧謔で人を諫めることを得意としており、比較的古い段階からユーモアやウィットを含有していたようである(ただし、元来の「滑稽」にユーモアやウィットの意味は含まれていない)。 『史記』

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呂后悪女論に物申す

漢の高祖・劉邦の皇后だった呂雉(呂后)は武則天(則天武后)、西太后とともに中国三大悪女に数えられているが、個人的に見て、彼女は単に嫉妬深かっただけではないかという気がする。劉邦の側室、戚夫人の一件や、息子・恵帝の異母弟にあたる劉如意の暗殺などは褒められたものではないけれども、韓信や彭越といった功臣を粛清したのは劉邦の猜疑心が発端で、呂雉の悪行に数えるのは違うと思う(実際に手を下したのは呂雉だったとはいえ)。

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非業の皇太子・劉拠

劉拠は西漢(前漢)の武帝の長男で、皇太子に立てられていた。 晩年、武帝は江充という人物を寵愛し、監察官の地位に就かせていた。江充は皇族であっても恐れず弾劾し、劉拠も弾劾したため、劉拠は江充と対立することになった。 この頃、丞相・公孫賀の子の敬声が、横領が発覚し捕らえられた。公孫賀は、大侠客の朱安世を捕らえて子の罪を贖おうとしたが、朱安世は公孫敬声が武帝の娘と密通していること、離宮への道に「まじもの」を埋めて武帝を呪詛していることを告発した。公孫賀は投獄され獄死した。

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