アイデアノートと無意識のセンサー
家じまい、墓じまい、他人事のように思っていたワードがいつの間にかひたひたと忍び寄ってきていました。
身内の終活の一環でいつかは向き合わないといけない問題です。
祖母が亡くなったことがきっかけで、代々続いてきた祖父母の住んでた家を取り壊す事が決まりました。
生きるのもものいりですが、死についても考えるだけで大変なもの事がたくさんあります。
両親が健在なうちに話し合った方がもちろん良いのですが、タイミングやらなかなか難しい問題です。
自分が生まれ育った家、帰る実家が無くなるというのは、まだ考える事ができません。
現実が重く圧しかかってきました。
しばらく口を閉ざし、耳は左から右へ受け流すようにし、目は空想を追いかけました。石のように過ごしていました。先月、先々月はそんな状態でした。noteも書けなくなりました。
このまま心の森の中に小さな庵を拵えて、穏やかに静かに暮らすのも悪くないのかもしれない。
そんなことを思い、試しに閉じこもって本を読み、映画やドラマを観て、スマホで情報を流し読みし、日々が、一切が過ぎていきます。
数週間経ち、振り返った時、それまで見聞きした物事のほとんどをあまりにも覚えていないことに気付きました。
情報を百取り入れたとして、そのうち思い出せるのはせいぜい十くらいでした。
時間をかけて捻りだせば、いくらか数は増やすことが出来るかもしれませんが、かなりの薄味です。
秋の気配が漂いはじめたころ、おもむろに窓の外を眺め、これはなんとかしなければいけない、取り入れたもの全てを余すことなく栄養に出来なくとも三割程は残さねばもったいないと思いはじめました。
まえおきが長くなりましたが、どうにかインプットしたものを少しでも身になるものにしたいと思い。そのアウトプットについてここ最近考えていました。
見たり聴いたり読んだりしたもののなかから、特に気になったものごと、それらは自身のセンサーに反応したものとして、ノートやメモ帳に書き留めておこうと思い、試しながらやっています。
小説の書き方などで紹介されている、アイデアノートやネタ帳のようなものですね。
noteを開いて、よし書くぞと思っても、何について書くかが明確に定まっていない時……ほとんど定まっていない時の方が多いのですが、
白紙のページを前にするとどうしても指が動かなかったりして、そのまま別のサイトを開き、
そうして逃げ出した小鳥はふたたび帰る事はありませんでした。
小鳥が逃げ出さぬよう、最初のきっかけを手助けするツールとしても活用していけたと思っています。
noteを書いていると「こんなことは自分が書かなくてもよろしいのではないでしょうか。きっとネットでも同じような事を書いている人はいますよ。もっと素晴らしい事を書いてる人がいますよ。また好きな小説や漫画を読み、映画を観て、穏やかに過ごせば楽しくやっていけますよ」と脳内執事が囁く声が聞こえます。
そういった声に抗って、インプットとアウトプットをもがきながらも繰り返して残ったもののなかから、その人が持つ独自の味がしみだしてくるような気がしています。
noteを書きつづけている人、いろんなアウトプットをし続けている人は本当に尊敬します。
その裏では大量にインプットをしているはずだからです。
さまざまな引き出しを開く能力は、日々の積み重ねによってしか手に入らないもののような気がします。
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