第16回: インド開拓と茶人の心 (Jan.2019)

 前回 “インド開拓の心得” はなかなかの反響だった。即座に行動を見直し改める柔軟性・即応性は、更なるインド開拓に向けた意欲の表れと嬉しく感じた。そういえば “グローバル” を語る文脈では目にしないが、私自身、茶人として培った心がインドの “喫茶去” 文化に通じているように感じている。

 幸いこのところ、予告なしの立ち寄りでも歓待され、逆に近くに来たが会えないかと声を掛けられ、以前話していたアレはどうなったかと連絡を寄こし、季節の挨拶やらイベントの案内だといって近況を尋ねられ、と普段から家族ぐるみで付き合うパートナー以外にも気心の知れた友人とも呼べる当地の経営者や専門家が各都市に増えてきた。彼らの地域や領域が課題となった際、“ちょっと教えて?”、“こんなことを知らない?” と聞くと必ず何かしら、多くの場合は “そこまでしてくれなくても” というくらいの反応が返ってくる。街角の馴染みの店を通りかかれば露店の花屋にすら座って茶を飲んでいけと勧められ、使用人や近所からも家庭の味や故郷の土産が差し入れられる。当地の人々は基本的にみな世話好き、もてなし好きだ。

 日本のビジネスマンはそんな時、返って何を期待されているのか、少しでも借りを作ったら返すのが大変、と勘繰りがちだが、素直に御礼を述べて受け取るのが礼儀だ。いやいやno thanks、と固辞してばかりでは何も始まらない。時に次の予定があるから、と席を立とうとしている時に限って “もう一杯” と勧められて困ることもあるが、大抵は頂いてから発つことにしている。秒単位での正確性が求められるJapan timeに対して、ここはIndian “stretchable” timeの世界。茶を一杯頂いて遅れたとて、責める者はいない。

 かつて手掛けた調達改革やコストダウンプロジェクトでは、ひたすら費目を細分化して相見積もりを取り、1円でも安くすることに血眼だった。特定企業に対して、包括的な “一式発注” をするのは杜撰で非効率と取られがちだが、当地にはまた違ったロジックが働く。街中の移動はその典型例だ。

 今や誰もが使うOLAやUberを使えば市内どこでも概ね数百円で行ける。しかし、例えGPSがあり互いに英語を話しても、迎えに来ているはずの車を見つけるまで時間と労力を要することがある。乗れば車内はボロボロ・ドロドロ、暑くても大雨か砂塵でもない限り窓は開けっ放し、ビジネススーツで乗るのが躊躇われることも少なくなくどんな車両・運転手が現れるかは運次第。そんな配車アプリを使えばせいぜい数回乗って一日千円程度の移動でも、一定程度、清潔で快適なものを手配しようとすれば数倍の数千円はかかる。毎日の通勤用に専用車と専任運転手を確保すれば更に数割増し。清潔さや快適性、信頼のおける車両や人間関係を安定的に維持するには  "付加価値料金" が必須だ。巷に溢れる遊休資産で必要な時に必要な便益のみを提供・享受しようという先進国のMaasの議論とは成り立つ前提が違う。

 現実的な支払い能力に極端な差のあるインド、アプリにも小型車指定や三輪リキシャ、乗り合い制といったとことんまでの安値追及メニューが設けられる。文字通り “庶民と触れ合える” バスやメトロは僅か数十円で同じ区間を移動できるが、外国人が日常の足とするには難易度が高い。

 日本企業がインドと付き合う際、この前提の違いに気付かず価格の安さに気を良くし、いざその場になって想定が大きく外れて慌てるケースをよく目にする。製品・サービスを提供する側がこちらの要求をどう理解し、現実的に提供され得るのはどんなものか、コミュニケーションなく想像すらしないまま値札で選んで発注するとこうなるのがオチ。言語の問題もあろうが、要望はちゃんと伝えた “はず” と言いっぱなしにも関わらず、こちらの期待通りにならないのは "民度" の違いだ、と片付けてしまう。

 日本にいると客が業者を、上司が部下を、富者が貧者を、先進国が新興国を、指図し管理するものと勘違いするのかもしれない。物質的な豊かさや境遇に関わらずこれまで接したインド人の多くが “心づくしのしつらえで一期一会の客をもてなす" 亭主ぶりを見せる。日本人もこれに応える客ぶりを見せて欲しい。

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