第8回: Phase3の海外展開 (Nov.2018)
“JUGAAD” は日本人を含む外国人にはなかなか理解され難い概念に思う。検索してみれば奇妙奇天烈な "作品" が誇らしげに出てくるばかりで、返って、なんだそんな話か、と鼻で笑われがちだ。良くも悪くも社会全体がいい加減、未だ物質的・経済的に満たされていないが故の苦し紛れ・悪足掻きと捉えられてしまう限り、感心も関心も集めない。
しかしそればかりではない、という象徴は火星探査機Mangalyaanでも示された。むしろ日本人・日本企業がグローバルで勝つには、JUGAADに学びインドで脱皮をすることが不可欠だ。アフリカ・中近東といった “インド以西” には、市場や文化も企業や経営の在り方もここでの経験が不可欠だ。“インドでシェアを獲る” ことができたら、むしろアジアや先進国に戻っても十分に戦える。他方で、未だ中国・東南アジアの成功体験を盲目的にインドに持ち込み失敗する事例が後を絶たないのは、日本企業の海外展開の歴史的経緯ゆえ、と理解している。
過去20年近く、大手か中小かスタートアップかを問わず、日本人・日本企業の “新規事業”や“グローバル展開” と称される活動に様々な立場から携わってきた。国内市場の縮小・滅失が避けられない中、これらのテーマには重なる活動も多いのだが、残念ながらその帰結も概ね重なる。
手掛けた活動の大半は “まだ見ぬ薔薇色の世界を探す” 活動に終始した。その結果、“やはりリスクを伴う新規事業・グローバル展開は難しい、基本に戻って既存の国内事業を強化しよう” と落ち着く。既存事業・日本市場の限界を見据えて、と言って始めたはずが、 “新興国は未熟で市場参入時期早尚”、“今は〇〇対応で手一杯で人材・資源がない” という理由で挑戦すら見送られる。挙句の果て “当社は自ら市場開拓をするリスクを冒さず、先行者が築いた市場でニッチを攻める二番手戦略” などと公言する経営者までが出てくる。
この場合のJUGAADの訳としては、“まずは手元にあるものでやってみよう。うまくいったら占めたものじゃないか” というくらいが相応しい。JUGAADの検索結果に表れる “作品” と共に写る誇らしげな表情は、本人すら思ってもみなかった意外な成果への驚きも含まれている。薔薇色の世界を探し求める旅とは対極にある。
“残された巨大な市場” とも認知されるインドは、日本人・日本企業のグローバル展開の歴史的経緯ゆえだろう、“中国・東南アジアの先” と捉えられることが多い。この暗黙の認識が日本企業のインド事業を難しくしている。
高度経済成長末期から本格化した中国・東南アジア進出を、私自身は “Phase2” の海外展開と称している。戦後復興から輸出型事業を推進する中、“Value for MoneyなMade in Japan” を売りに欧米市場に営業網を築いたのがPhase1。それが奏功して豊かになり返って国内の製造コストが高騰した為、コスト競争力の維持を目指して専ら生産拠点を移したのがPhase2だ。
労働者の賃金を比較すれば未だインドが優位に映る部分もあろうが、その "実" を得るにはかなりの統率力が必要だ。当地に設ける生産拠点は “人口13億の巨大市場” の需要にまずは応えることが求められるが、そこでの競争環境は日本人の想像力を超越した世界。桁違いの薄利と桁違いの多売を均衡させた事業構想力が求められるのが “Phase3” だ。
インドが親日であるのは事実だし、“日本ブランドの賞味期限" も残っている。ただ “日本製は確かにいいよね。でも韓国からは3割引き、中国からは半値で同じ提案を受けているけど、何が違うの?” という彼らの素朴な質問に真摯に答える姿勢が必要だ。“他では上手くいったのに何でインドは...” とか “インド人には議論でなく微笑みが必要だ” などと身勝手な比較を論じたり、ましてや “価値が分からない輩には売らない” などと臍を曲げている場合ではない。
Phase3の海外展開が求められるインド、日本人・日本企業は何を拠り所・強みにして生きられるだろうか。
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