第80回: Happy Diwalloween 2024 !! (Oct.2024)
という題目が目出たいのか不謹慎なのかさえ判別のつかない、いずれも宗派外の日本人的視点から。
欧米圏での要職をインド人・印僑が務めるのは全く珍しくない昨今なのに、インド人の誰もが考えつきそうなこんな単語がなぜ検索でヒットしないのだろう?と不思議に感じたのを契機に執筆。国家政策であれ社内標語であれ何かにつけ Acronym を作りたがるのは、駄洒落好きな日本のおっさんと通ずるものがあるように感じているから尚更、もしかしたらとんでもない禁忌に触れている?
奇しくも2024年は、キリスト教のクリスマスに例えられる Hindu 教最大の年中行事 "Diwali" と、今や日本でもすっかり年中行事化した "Halloween" が10月31日に重なるという。15年のインド経験を振り返っても両者を同時に意識した記憶がないのは、キリスト教徒も含めて宗派を問わず Diwali を祝う習慣が圧倒的だからか、はたまた、既に日本を含め諸外国で見慣れた Halloween の装飾が単なる風景の一部として目を引かなかっただけなのか。最近は下手な若手よりもよっぽど的確に、しかも瞬時で回答する ChatGPT すら奥歯に物が挟まったような反応。「今までにDiwaliとHalloweenが重なった年は?」とカレンダーを聞いているだけなのに、「ネット上に答えが見つかりません」と。
Diwaliは "闇に対して光が勝利したお祝い" とされる。時期を迎えればインド国中、あらゆるところに Diya (粘土製のオイルランプ、油皿) をモチーフにした装飾が施され、目に突き刺さるほどビッカビカに光る電飾が雰囲気を盛り上げてくれる。Covid禍で全国民が軟禁生活を強いられた際、ガス抜き策として首相が扇動した儀式のモチーフは、完全に Diwali での祝い方を再現したものだった (第51回: 鼓舞する祈り・諦めの祈り (Apr.2020))。時に遠くで、時に真横で花火の音が響いたりもするが、総じて家族や近しい友人と穏やかに過ごすのが典型的な祝い方のようだ。その際、日本の中元・歳暮やお年玉よろしく金品を贈り合う習慣もあるから商戦も活気づく。相前後するいくつかのお祭りと併せたこの数か月は、車や家電などの耐久消費財が最も売れる。
他方で冷静に Halloween を捉えれば、何が嬉しくてお化けやら髑髏やら南瓜やらを皆でこぞって飾るのか。 "いたずらされたくなかったら、お菓子を寄越せ" というのも、よく考えればふざけた話。最近の日本ではむしろコスプレイベントの色合いが濃いのかもしれないが、大の大人が繁華街に溢れるほど集って終いには商店に乱入したり車をひっくり返したりという報道も見掛けるのは、単に日本人の民度が落ちていることの現れか。長らく低迷する経済に対して、何でも良いから消費刺激策が欲しいという商業主義にうまく乗せられ、ふと気付けばすっかり街の治安まで放棄していた、というのであれば悲しい話だ。自身も完全にそれに乗せられていたのだが。。。
思い返せばちょうど20年ほど前から日本では Halloween が一般化してきた気がする。当時、欧米人が比較的多い都心の住宅地で、10月に入った頃から大仰な装飾を施す家が出始め、年を追うごとに周囲の日本人宅もこれを真似たり日本人らしい繊細な工夫を凝らしてカイゼンしたりで、一気に一円で祝うようになった。当日を含む数日間は、さながらお化け屋敷に仕立てた自宅内まで周辺住民を招き入れ、そこまでやるかと驚いた記憶もある。こちらも年々進化するお隣さんたちと競り合って自宅を飾り玄関先にお菓子を用意した上で、それぞれ着飾った近所の子どもらと練り歩いていた。20年もすれば当然、その子らも大人にはなっているはずだから、自ら率先してこの状況を招いた帰結とも言える。
普段、黙って大人しくしていることの少ないインド人が光を眺めて穏やかに過ごす時間が Diwali とすれば、逆に周囲に配慮して自制してばかりの日本人が "化けの皮を被って" 羽目を外す Halloween は、方向性は正反対ながらも似た効果を狙ったイベントなのかもしれない。 "そうじゃない方" に大衆の関心と経験を振ることで、やがてどこか具合の良いところでバランスする日が来るのか。
と、どうでもいいことを呑気に語っていられるだけ、身の回りは平和だということで、光と闇とを同時に祝う希少な機会を楽しんでおこう。
Happy Diwalloween !!