第61回: ガワと中身の連関性 (Sep.2020)
関西7府県のインド案内役 (正確には大阪産業局ビジネスサポートデスク) を始めて間もなく半年、Covidによる不自由も手伝い旧来のアプローチを見直す良い機会になった。ふと気付けば一昔前からインドに携わっている身、 Startupと持て囃されることもなかった時代に技術提携先として議論を重ねた各地の起業家たちは、すっかりグローバル大手に名を連ねていたり、家族経営の地場財閥として羽振りの良い風体に育っていたり、既に一時代を終え事業売却交渉中であったり。方や日本企業、殊に中小企業にとって “海外” は未だ、補助金を得て使節団の一員に加わって訪れるものとの意識も強く、インドについて講演すれば聴衆は集えども、初めの一歩は果てしなく遠い。
人口13億の枕詞から始めて事業との関係性を問わずマクロ指標を並べ、業界トピックと企業リストが整えば社内検討資料としてまずは十分。情報媒体が紙でしかなかった20世紀も明けて久しいが、日本語のインド情報は絶対量が未だ乏しい。メディアが報じる大衆の期待を裏切らない "紋切り型のインド" や "知り合いの知り合いの苦労話" に比べれば、現地の誰かさんが語る最新事情は話題に載せづらい。
先日、“渡航できない今だからこそ、インドに向けてできること” というテーマで日本全国の営業職に向けて話す機会を頂いた。これまで、百聞は一見に如かず、まずはいらっしゃい、と勧めていたから尚更に難しいお題。想像の及ばないインドに関心を寄せてもらうことから始める必要がある上、音声と画像も途切れがちなスクリーン越しでは到底、頭の中に手を突っ込んで脳ミソを引っ掻き回すこともできない。どこかで抱いた固定観念はなかなか解けないし、そもそもが社内研修の場だからどれだけ期待を持って聞いているかも疑わしい (失礼)。“Innovation in India !!” への興味や気概くらいしか拠り所とならないインド行き、嫌々渋々業務命令に従って家族まで巻き込んで不幸で不快な思いをするくらいなら、駐在員制度も見直した方が良い。
日系大手との経験からすれば “インドをやる” と決めた張本人が赴任してくることはない。どこか他人事な担当者は仕事の範囲で役割を果たすのみだから、いざCovidともなれば当地に留まる理由もない。日本に居ても自宅勤務で出社が必要ないなら、“オフィスに居るのが役割” と本社が期待する駐在員の存在も見直しが進むはずだ。慣れない環境下で家族の分まで右往左往させられるばかりのインド駐在員、もはや本人が望まず誰からも羨ましがられることもない人事も限界だろう。“バーチャル駐在員” 構想に共鳴し商機と捉えた事業者も周囲に増えているが、日本的振る舞いを求められつつ待遇が伴わない現地採用人材を含め、海外事業の運営には新たな着想が迫られている。
インドの先にあるモーリシャスへの事故対応は国際的な批判すら日本で報じられない様子。“意図せず担当させられているけど本音は関わりたくない” 担当者が居れば、この肩代わりを商売にする者が現れて当然だが、当地はこれに長けた層が果てしなく厚い。英国統治の影響のみならず、米国が寝てる間を担ってきた歴史も四半世紀超、到底目の届かない海の向こうの煩い主人を口八丁で黙らせて最小限の労力でチームを率いるのがマネージャーの評価基準だとすれば、"コツコツ真面目に頑張る" 日本社会とは対極の価値観だ。
消費者目線で店頭を眺める限りでもここ数年、新商品が登場する度にパッケージの華やかさが増す。図案の楽しさや鮮やかさは目に嬉しいが、パッケージとしての本来性能も着実に向上している。とはいえ新しい試みに失敗は付きもの、ボトルは180度、箱や袋は360度・720度、ひっくり返して見まわしてから籠に入れるのが鉄則。家に戻っていざ口に運んでから違和感を覚えることも少なくないから、齧りかけを店頭で突き返しても顧客対応の最前線を担うの店員は当然の如く対応してくれる。
"装う" ことは評価基準となり、洗練され研ぎ澄まされてきた世界において、日本人・日本企業の目利きはどこまで通じるだろうか。
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