砂の器に見る出雲弁と東北弁、その祖とは
出雲弁と東北弁は、同じ言語が分岐した方言の関係にあります。これがまさに方言というものです。
これをトリックして用いた有名な作品が松本清張さんの砂の器です。
知る人ぞ知る事実というわけですが、この事実の先を考えた日本人が誰もいないのが不思議です。
出雲弁と東北弁が同じ言語の分岐であれば、もともとはひとつ、元祖があるということです。
この元祖は、当然ながら出雲弁や東北弁と似ますし、会話もある程度成立できます。
この元祖はいつ頃日本に存在したのでしょうか。これは出雲弁と東北弁が別れた時代を推定すると簡単に結論がでる仕組みになっています。
平安時代をさらに遡ります。東北弁と出雲弁があまり変わっていないところからも判る通りで、この言語はあまり変わっていません。
ただしこの言語を難解にしている変な言語があります。
平安時代と言えば、畿内に日本語を使う人間が出てきています。この言語の解析は結構されていまして、youtubeなどで当時の日本語を聞くことができます。再現度はかなり高いです。
ほとんど中国語です。
現代日本人は日本語の祖が平安時代のこの中国語みたいな日本語だと信じています。その方言として出雲弁や東北弁があるという言い方をします。
でも実際には、出雲弁や東北弁と、日本語は別の言語です。
現実には、外国語を使う人間が中国語の教科書を渡されて、それを日本語として勉強しているのが日本人という言い方もできます。
出雲弁や東北弁はずっとあるのに、歴史的資料が出ません。この言葉でかかれた文献がでないのはなぜでしょうか。出雲弁などが話し言葉であるというもの当然理由になりますが、そもそもこれらは中国語ではありません。だから中国語で書かれたことがないのです。
日本人が作る文献は、漢字でしか作られません。
これは畿内の日本語にも言えます。連音変化しません。漢字で表現できない文法や変化が一切省略されています。外国語を中国語で書き取ることしかやっていないことがわかります。
畿内で使う日本語には独特な言い回しがでます。これは出雲弁の書き言葉によるものだと思われます。中国の人が外国語を模写するとき、文献を持ち帰って変換するのが主流でした。仏教の経典もほぼこれです。写し終わった文献は中国語以外は破棄されるのも特徴です。
ヤマトの人はヤマトの言葉を大切にしたほうがいいと思います。外国語を漢字にしたところで意味もニュアンスも変わります。漢字は中国の文化の上でしか意味を成しません。
これが認識できなければ、弥生時代以前のヤマトの歴史も縄文の歴史も永遠に理解できないままです。そこは中国ではないからです。
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