歴史の真実と嘘の見分け方
古代の日本が歴史の裏で何をしていたのかを知る方法があります。文献は日本人の都合のよい記述しかなされないので、それを読んでも真実に辿り着くことはできません。中国から出る倭国に関する文献と記述が食い違うのが証拠です。
日本にあるものは、かなり情報操作されています。
この嘘を明らかにする方法がひとつだけ存在します。ヤマト言葉を追いかけることです。
ヤマト言葉から分かることをまずいくつか書いていきます。
万葉仮名で書かれるヤマト言葉は、ヤマト言葉を勘違いして作られています。ヤマト言葉ではありません。むしろ漢語です。
天照大神は、漢語で読むと意味が正確です。
アマとはイザナミが来た国を意味しますので、イザナミがアメリカから来たと言えば、それはアメリカ照らす大御神という名前に変じます。このおかしさがおわかりでしょうか。天照大神はヤマト言葉ではありません。
ちなみにイザナミが来た時、言語が通らなくて誰からも歓迎されない様子が出ます。しかし天照大神がアマの国から来た時には、日本人が大歓迎です。言語が通じていますので、これは日本以外にありません。しかしアマは日本にありませんので、あちこちにそれらしき地名が点在します。
エルサレムのような聖地ですと、その場所は一点を示すはずです。天照大神の出身地にはそれがありません。すべて創作だからです。しかも中国人による創作だとわかります。天という概念は神道にはもともとありません。仏教の概念です。天孫降臨も同様です。倭国には、天という概念自体がなかったのです。
「日本」も同様にこの響きにはヤマト言葉が入りません。字は漢語です。逆さにしたって中国語です。
ここまでわかったところで次の推測がなりたちます。
畿内の人は中国から来ています。倭人とは別種です。そして畿内の考古学的証拠から、彼らが3世紀終わりから4世紀に来たことが明らかです。身の回りのものはヤマト国から寄贈されたもの、あるいは中国から持ち寄ったものでしょうから、年代を鑑定すれば、2世紀あたりからのものもでるはずです。
彼らは秦氏「しん」あるいは「はた」と読む名前を名乗っていました。これも重要な証拠です。
中国から3世紀の終わりに秦という人たちがやってきたわけです。だったら、3世紀の終わりに、中国からいなくなった秦氏がいるはずです。
次にこれを中国で探します。
中国では385年まで長安に拠点を置いた秦国がありました。まさにこれです。滅亡は390年代ですが、長安を追われたのは385年です。天孫降臨と言って、日本に秦氏がきたのは390年の前でした。この後、彼らが百済に初めて声をかけているのが歴史上確認できるからです。
なぜ百済かと言えば、前秦とされる秦国の最大の功績は東征にあるからです。東征とは神武天皇の功績でした。前秦の天王も東征して百済までを制圧しているのです。
なので、天孫降臨した人は日本に来てからすぐに百済を引き入れています。百済は、それまで倭国をやばんな国として交易すら行っていませんでしたが、秦氏に声をかけられた瞬間、尻尾をふって王女を差し出し、援軍まで仲良く融通し合うようになります。王女は日本に嫁ぎましたが、ヤマト言葉を覚えたわけではありません。畿内の公用語は漢語です。
ヤマト国の歴史からも追跡できます。ヤマト国には、中国とは異なる文明が存在していました。カタナや和弓といった武器、鎧なども中国のものとは違います。これらは、元寇の時に威力を発揮して当時最強のモンゴルの大軍を追い払うほどに強力です。元寇は1200年のことです。
1200年とはまた時代が異なると思うかもしれません。ここで古代の武装埴輪が出てきます。これは600年頃に制作されたものですが、和弓を扱う上でかかせなかったトモと呼ばれる装備が出ます。この時代以前の銅鐘にも和弓が描かれます。つまり元寇の時の武装と同じ性能の武装が4世紀には存在していたということです。
百済に援軍に向かった日本軍の武装はこれとは違っています。しかも当時倭国が軍事的に使わなかった船が用意されていました。どこから船が出てきたのでしょうか。
武装と船は、中国から日本に来た軍隊が持っていたものです。そして彼らは漢語を使いますから、百済の軍隊とも連携が取れます。さらには日本に来た中国軍は、長安で負けた部隊ですので、弱いのです。
この時代の様子は中国の文献にも出てきます。倭国になぜか秦王国ありと出ます。秦王国とは、秦の王様が居るという意味です。ですが倭国にいる王様は日本の王様だけでした。日本になる前に倭の五王として中国人が何度が中国に挨拶に行っています。
中国を追われた王様ですので、中国を名乗ることができませんでした。
ヤマト国に亡命した形が、スメラミコトという名前で表れます。これはシュメールのほうにも近い名前がでるとおりで、この名前があるところはヤマト国の中心ではありません。統べるという意味はありません。実際に日本の王様は、すぐにこの名前を捨てました。
彼らが漢語を使っていたのは、7世紀頃までです。
外国向けに書いた物語が古事記で、国内向けに書いた歴史書が日本書紀になります。現在これは逆の解釈がされていますが、その逆が正しいかと思います。
万葉仮名によるヤマト言葉で書かれた古事記が日本向け。ではなく畿内からしてみれば、外国人向けです。
漢語で書かれた日本書紀は、中国向け。ではなく、これが模範的な日本語でした。ただ、現実がそうならなかっただけです。
ここまではどこにそんな証拠があるのかと疑うでしょう。
ここで鏡を使います。日本が何をしたか具体的に知る方法がこれです。
鏡を地球儀の上に置きます。
これで日本という国が次元を越えて別の場所に映されます。それを見るだけです。
ヤマト言葉は三度地上から消えました。この消えた理由を追いかければ良いのです。一度目は、アースガルドです。二度目は、カナンです。三度目が日本です。
アースガルドにおける伝承は、ルシファーが該当します。堕天使ルシファーが神の国を滅ぼします。ルシファーとは皇帝です。ですが、伝承はほとんど存在せず、これ以上を追求するのは無理でしょう。
ですが、カナンと日本には豊富な文献が残っていました。比べることが可能だったのです。
カナンでは、次の話になります。
モーセたちはアース神族に出会ってカナンに導かれます。カナンに合流したところで、なぜか古代イスラエル王国建国です。王様が出ます。カナンの人はどこに行ったのかがわからない状態で、そこからはユダヤ人の歴史が始まります。
日本では、次の話になります。
秦氏は、中国で敗戦しヤマト国に亡命してきます。大和と書いた通りで、彼らは土地をわけてもらい合流します。しかしなぜかその直後に、日本建国です。王様がでます。ヤマト国の人がどこに行ったのか分からない状態で、そこから日本人の歴史が始まります。
アースガルドとカナン、日本はまったく同じようにしてヤマト言葉とその民が消えることになりました。とくに言語が変わっているところがポイントでしょうか。
面白いのはここからで、さらに古代イスラエルと日本を比較していきます。
古代イスラエルにおいては、ミトラ(神道)を迫害する様子が描かれます。初期の頃です。日本でもイザナミに悪魔払いをする様子が描かれます。まったく同じ時期です。
古代イスラエル王国では、神にまつわる証拠、アークなどが消えていきます。神殿も残りません。日本でも同様に、文字もなかったとされる始末で、何も残りません。
すると古代イスラエル王国では、シロという首都だった場所から少し離れてエルサレムという街が建設されます。日本では出雲から京都の平安京です。この平安京をヘブライ語に訳するとこれがエルサレムになります。
イスラエルを訳すと、神に勝つ者。日本も同様の響きになります。
ここで一度エデン回帰の運動がおきますが、どちらも失敗におわります。日本では大化の改新です。
そしてこの辺りで、神を打倒することをどちらの国も諦めます。利用する方向にシフトしていきます。
古代イスラエル王国ではYHWHを読ませないようにして、アドナイにすり替えました。日本でも天照大神にすり替えています。同時に文献が用意されました。口伝では嘘が広がらないためです。ここに出てくる神はどちらも王様を応援します。
日本では伊勢神宮もセットで作られていますが、どちらも初期の段階では失敗に終わっています。日本では伊勢神宮は1000年ほど放置です。古代イスラエル王国では、ユダヤ教に変化するまで明確な宗教が出ませんでした。
文献は、年月が経つと権威を持ちます。旧約聖書や歴史書と呼ばれるようになっていきます。
日本の場合は、天照大神と記紀、伊勢神宮のセットで環境が激変しました。DNAの追跡調査で、中国人と倭人の混血が始まった時期が特定されています。7世紀です。4世紀から日本に渡来してきた中国のひとはなぜ7世紀まで混血しなかったのでしょうか。
むしろなぜ7世紀になって混血を始めたのかが問題です。
日本の王様が近親婚を繰り返しているのが確認できます。ですが。天照大神をつくって自ら倭人の祖先だと名乗ったことで、中国人コミュニティが破壊されました。これが混血の引き金です。
歴史書の中で、天照大神を皇族の祖先とするかどうかは長らく争いのもとになっています。本当の歴史を知っていれば、倭人を皇族の祖先として祀りたくはないはずです。でも嘘をつき続けるしかなかったのです。
古代イスラエル王国と日本、この二つの国がやっていることは明確です。
あらゆる手を使って、エデンの人がエデンに、アースガルドの人がアースガルドの帰れないようにすることです。帰ってしまえば、王国がなくなるのですから当然と言えば当然でしょう。
神の名前を言わせないようにする。忘れさせる。すり替えて王様を崇拝させる。
神に由来する場所には人が集まらないようにする。
アークや文字など、歴史に通じるものはすべて破壊する。
こういうことをやっています。
この呪いは実は、現代においても生きています。これを知らない限り、誰も天国には行けないカラクリです。
人が集まらないようにするカラクリといえば、日本では、黄泉の国があげられます。世界でエルサレムと言えば一箇所を示し、冥界といえば、由来する場所は複数存在するようになります。実際にあった場所は一箇所です。空想の場所はそれらしい伝承がいくつも出てきますので、あちこちにそれらしい場所がでます。日本ではこれが逆になっていることを指摘しておきます。
つまりアマに由来する場所は複数ありますが、冥界は一箇所を示します。逆になっていますね。黄泉比良坂(よもつひらさか)の先が本来の神域です。沖縄でニライカナイとされる場所もここです。イザナミの御陵があるのもここです。根の国とも言います。
この根という表現は王様がいない故の表現です。王様型の社会はピラミッドになります。この頂点が首都です。しかし王様がいない社会は逆ピラミッドになります。ユグドラシルと同じです。首都や神域が根という表現になります。
真実の歴史を知れば、実は現代のさまざまな事象を解くことができるようになります。
たとえば、日本の現在の信仰形態は、ユダヤ教成立前と同じだと言えます。ユダヤでは、バビロン捕囚を経て、現在のユダヤ教におおきく傾きました。これから、これと同じことが日本でも起きます。
さらにヤマト言葉が消えた歴史は、アースガルドとカナン、日本で起きたことですので、四度目があります。
アーリアの人は世界中に拡散しています。とくに英語圏です。ここに王様にいない国が集中していることがわかります。つまり、アースガルドや、ヤマト国と同じ形態に収まりつつあるということです。英語もヤマト言葉に近い言語でした。
これに対して中国がすり寄ってきました。脱エジプト記、秦氏と同じ動きです。彼らは貧しいところからアースガルドの国に合流して、そして裏切りました。過去の歴史では、このあと巨大な王国が誕生して、別の場所に平安京が出てきます。言語も民族も変わります。
実際に国際社会はこれを止められません。(この歴史を正しく認識して対処できないかぎりは)もちろん、これから出てくる王国が中国とは限りません。ロシアあるいは第三の国が台頭してくることもあるでしょう。ですが大きな流れは変わりません。(まあ、アーリアの人が知恵を持たなければという条件つきです)
さらに歴史を深く読むことで、また違う側面で未来を予測することが可能です。
文明がアースガルドから始まり、今もなおアースガルドの人によって牽引されている事実が明らかになったのです。ここから文明の足並みを歴史から浚うことができるようになりました。
たとえば。メソポタミアは以前は文明国だったのに、今では緑があまりない住みにくい場所になっています。エジプトもそうです。
文明が発展するところと発展しないところ。
発展する時期と、発展しない時期。ここに法則が出てきます。
日本では江戸幕府(儒教国家)や、日帝(儒教国家)が叩かれたときに文明化が著しく進行します。現在(儒教国家復活傾向)では文明鈍化の傾向です。
この不思議な相関から、驚くべき未来が見えてきます。次回はそんな話をします。
今回の記事はここまで。
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