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仕組みをつくる専門商社でありたい

2019/12/04 公開
2020/08/24 加筆修正

こんにちは、島貫 陽です。

YaH株式会社〈読み:ヤア〉の代表をしています。

弊社は、山形県酒田市に本社があります。酒田は私の地元ではなく、いま私が奥羽地方の日本海側で活動していることは、これまでの縁によって導かれた結果だと感じています。

大きな転機と縁

私は仙台市に生まれ、そのあと父の転勤で埼玉県に移り、高校まで過ごしました。学生時代は再び仙台に戻り、卒業後は全国各地の環境教育系施設で10年ほど活動しました。その後、環境教育の活動を一旦離れる大きなきっかけになったのが、2011年の東日本大震災です。3月11日、私は独立の準備をするため仙台に帰省していました。大学の図書館で過ごしている時に揺れ出しました。揺れは小刻みに始まり、段階的に強くなっていきました。周りの本棚が倒れ、落ちた本で床が埋め尽くされていた図書館を出て、実家に向かいました。町中の信号が消え、電車もストップ、車と人の長い行列があちこちに見られる雪の中でした。そこから実家での被災生活が始まりました(いま考えれば幸運だったと思っています。年老いた両親をサポートすることができたのですから)。そしてライフラインが復旧、ガソリンを入手できるようになり、1ヶ月ぶりに震災前仕事をしていた山梨に戻ります(一度辞めた人間をその後1年間雇ってくれた元職場には今でも感謝しています)。

そして震災から2年後、今から7年前、私は環境教育の仕事からいったん離れることにします。木工分野に転向し(以前から雑木の有効的な活用方法を身に付けたいと考えていました)、建具職人として新しい出発を始めました。しかしその矢先、今度は作業中に左手を負傷してしまいます。建具屋の仕事を諦めざるを得ないほどの大きな怪我でした。そして、怪我の手術が終わりを迎えた頃、新しい仕事を探していた私は、縁あって山形県の日本海沿岸地域に移り住みます。5年前のことです。移り住んだ遊佐町は、学生時代にテレビで見た清流のある町で、その時の記憶が私とその町を繋いでくれたのでした。次の仕事は環境教育に近い仕事でした。私の環境教育時代が再開。そして約3年間の後、2018年3月に独立。YaHを立ち上げました。YaHは私の妄想から始まったビジョン・ドリブンの会社です。ここからは私の妄想についてお話ししたいと思います。

専門旅行会社

弊社は創業直後に地域限定旅行業の登録を申請しました。「奥羽旅人ネイチャーセンター〈読み:オウウタビト〉」は屋号です。

旅行会社としては扱うテーマが狭く、一般的な旅行代理店のイメージとは少し違う印象を持たれるかもしれません。奥羽旅人ネイチャーセンターは一部のエリアやテーマ,プランのみを専門に扱う専門旅行会社です。日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、海外には、アジア専門とかダイビングツアー専門などのように、様々な専門旅行会社があります。奥羽旅人ネイチャーセンターの専門性は「奥羽地方」「アウトドア」「移動系アクティビティ」などです。

理想は地域の専門商社

奥羽旅人ネイチャーセンターは、今のところ、旅行会社の屋号(名称)でしかありませんが、いずれは何らかの施設(ハードとしてのネイチャーセンター)をつくり、地域の専門商社(ここでもやはり「専門」)もしくはデザインファームのような形態になることを目指しています。
※2020年7月末から新しい拠点づくりに挑戦し始めました(後述)

私は大学でデザインを学びました。しかし、デザイナーとしての実務経験があるわけではなく、特にグラフィックデザインについては才能がないことを自覚しており、クラシカルなデザインが必要な時には専門家にお任せすることに決めています。

しかし一方で、「どんなこともデザインである」ことを私は大学で学びました。その考え方を前提にするならば、私は「形のないものをつくるデザイナーである」と主張できます。デザインとは、物事に色や形を与えるだけのものではありません。デザインを勉強してきたことが、全体を見たり、形のない物事をつくることにも活きることを確信しています。

YaHは、地方の課題を持続可能なデザインで解決することを目指しています。

YaH株式会社ホームページ: 動く専門旅行会社yah.jp

旅行業とガイド業

奥羽旅人ネイチャーセンター(YaH)が取り組んでいる事業は、登山ガイドや里山ガイド,サイクリングガイド,木育指導者,川遊びの指導者など、旅人(たびびと)に自然との接し方をご案内することです。

しかし、私たちが真にめざしている未来の姿は、野外でガイドやアクティビティの指導者だけをやる会社ではありません。

私たちはネイチャーセンターという「場」をつくろうとしています。

ネイチャーセンター〜地域の核となるプラットホーム

私たちが目指す「奥羽旅人ネイチャーセンター」は、旅行会社の単なる屋号ではありません。

今は形のない箱に過ぎませんが、ゆくゆくは拠点施設として物理的に立ち上げることを目指しています(壮大な野望として、奥羽地方の各県に1拠点ずつつくりたいと思っています)。

地域には情報拠点が必要です。私たちは地域の情報を集め、旅人は情報を仕入れ、旅立っていく。あるいは、そこに集まった人(オンライン上の人も含め)が相互に交流し、情報やモノを交換する。人とモノと情報,資源がそこに集まります。そして、そこから新しい活動・暮らし・時間が生まれます。

大阪にある2つの会社をロールモデルとしています。

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ネイチャーセンターやビジターセンターと呼ばれる施設は、どちらかといえばNPOや行政が管理・運営することの方が多いと思いますが、民間企業である私たちがチャレンジするのは、民間であることの強みがあるからです。

「東北」ではなく「奥羽」

奥羽旅人ネイチャーセンターが「東北旅人ネイチャーセンター」ではないことの意味はなんでしょうか。

私たちが「奥羽」を使う意味は、「東北」という一般的な行政区分に囚われず、奥羽山脈の周りに広がる地形的な広がりでエリアを捉えたいという思いにあります。

旅行会社は、旅行を扱う時、行政区の区切りを無視することができないのですが、旅人は、たいてい地域を行政区の括りでは捉えていません。もっと広い視野で地域を見たいという思いから、私たちは「奥羽」を使っています。

行政区で区切られた世界にいると、活動も縦割りになって(サイロ化して)しまいがちです。先にも書いた通り、ネイチャーセンター系施設は、行政や,行政が委託した民間企業が運営しているところが多いと思いますが、そのような行政の息のかかった施設は結局のところエリアを限定されることになります。管轄の行政区の外のことには触れることができなくなります。私たちは積極的に行政区の壁を乗り越えていきます。行政区と行政区をつないで広域の連携をつくれることが、私たちの強みになると考えています。

仕組みをつくる会社

私たちのミッションは「奥羽地方発の Sustainable Story で世界を変える」。奥羽地方で仕組みを生み出し世界へ輸出します。

そして、それを実現させるために、私たちがいま目指す会社の姿(ビジョン)は、「奥羽地方の目的地までのワクワクする行き方を3つ以上提案できる会社」「人と情報と志が集まる場所を創造できる会社」「奥羽地方で賑わいをつくるために行動する人を育成できる会社」です。旅人が楽しい旅をしたい時、役に立つ方法と場所と人,仕組みを奥羽につくることができる会社を目指しています。

地域の資源と素材を発掘・記録する

ネイチャーセンターは地域の資源と生き物を扱う施設でもあります。そのため、どの草花がいつ発生し、花開き、実をつけ、枯れたのか,どの動物がいつ生まれて、どう動き、いつ見られなくなったのか,そして地域にどのような伝統・文化や歴史があるのか掘り起こし、古老から聞き取り調査をし、記録していく必要があります。そうして収集したデータを編集し、いつか使う時のために、アウトプットできる形にしておきます。

箱めがね
Storyのある商品開発 販売〜自然体験〜文化伝承〜

川を通じて生み出されてきた仕事,食,道具などの文化,人の川への関わり方が、今どんどん変わったり消えたりしています。一度消えたものを再び取り戻すことは消滅させない努力よりも大きなエネルギーが必要です。おそらく、ほとんどの文化は一度失われたら最後、二度と蘇ることのないものではないでしょうか。文化の活滅は不可逆的なのです。

私たちは、まず、箱めがねを使って川の文化と仕事,関係人口を増やす活動を始めました。

奥羽里山サイクリング 貧弱な二次交通を多様に

二次交通を解決する手段として、私たちは、ロードバイク,クロスバイク,マウンテンバイクに大きな可能性を感じています。サイクリング文化の周りにつくられていくものが地方を活気づけていく。その流れをつくっていきたいと考えています。

Withコロナの経営

創業3年目にコロナ禍が始まり、世界は変わりました。withコロナ・afterコロナの世の中では今までとは全く違う「新しい生活様式(ニューノーマル)」が常識となるはずです。変化した世界では私たちも変化しなければ、会社を発展させることは難しいと考えます。

コロナ禍の中で、旅行会社にとって最も関わりが深いのが、「移動」の部分だと思います。これまで集団でまとまって移動しながら観光地を回っていた従来の旅行形態はハードルが一気に上がりました。旅行自体の価値,旅先の人とリアルに会うことの価値が上がり、それに伴い、オンラインで提供されるものの意味がこれまで以上に上がるのではないかと私は考えています。オンライン配信されるコンテンツを参考に行先を決めたり、そもそも、オンラインコンテンツをリアル旅行の代わりにする旅人も現れるかもしれません。このようなことからオンラインコンテンツのより一層の質向上を今は追及すべきなのではないか、と考えています。

私たちは、6月に「奥羽エコツアーライブ」を始めました。現在まで実施した回数は10回に達し、本社のある山形県日本海沿岸地域だけでなく、秋田県の県南地域にまでフィールドを広げています。

また、今までとは違う場づくりとして、横手盆地の雄物川流域に新しい拠点をつくり始めました。「奥羽旅人ネイチャーセンター雄物川小舎」として、小さなチャレンジを積み重ね始めたところです。最初は旅行業登録の屋号に過ぎなかった「奥羽旅人ネイチャーセンター」を、今は商号よりも前面に出して活動しています。

仲間を探しています

これらのミッション・ビジョンを実現するためには、同じ方向を目指す多くの仲間が必要です。現在、奥羽旅人ネイチャーセンターのスタッフは私だけです。時々お手伝いしていただく方もありますが、基本的に一人で経営・会計・広報全てを兼務しています。人手が圧倒的に不足しています。一緒に動いてくださる方を探しています。一般的な企業の求人情報とはだいぶ異なる面もあるのですが、関心を持ってくださった方は、弊社ホームページ「MessageCard」からご連絡をお待ちしております。

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