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誰にでもできる。「無」の中に「ある」をつくる

「ヨソモノ」はマイナスイメージ?

「地元の人」ではない外から来た人は「ヨソモノ」と呼ばれたりしますが、「ヨソモノ」と聞くと、マイナスのイメージを持つ人が多いのでしょうか。

「ヨソモノ」を受け入れる側にとっては特にその傾向が強いのかもしれません。
外から移住してきた人が地域に受け入れられるのはいつなんでしょうか。
以前聞いたのは、「移住者に子どもが生まれて、その子が成人する時、その子は初めて地域に受け入れられる」というような話。しかし移住一世は、子どもが受け入れられるよりももっと多くの時間がかかり、長ければ死ぬまで「ヨソモノ」扱いなのだとか。
表向き受け入れられているように見えても、大事な局面では仕事を任せてもらえなかったり、家の前で会っても玄関に入れてもらえなかったりすることもあるそうです。
これは極端な例かもしれませんが、「ヨソモノ」のレッテルはなかなか消すことができないようです。

「ヨソモノ」の技術

しかし、地域を見る時には「ヨソモノ」の力は特別な技術と捉えることもできます。「ヨソモノ」は存在であると同時に技術でもあると思います。
「ヨソモノ」はその地域の人が「当たり前」「つまらない」と思っている日常の物事の中に価値を見出すことができる能力です。
自分が生まれた地域と移住する地域は異なるので、出身地と移住地、少なくとも2つの地域を比較して見ることができます。これはエスノグラフィーという文化人類学の調査手法でもあり、そういう視点で物事を見る人を『プロのヨソモノ(Aiger 1996)』と呼んだりします(小田博志『エスノグラフィー入門』)。

『プロのヨソモノ』

外の地域に入り込んで、そこの「地元の人」と一緒に生活してみると、対象地の「当たり前」に気づくようになります。そして同時に、出身地の「当たり前」が奇妙に感じられ、出身地と対象地のどちらに対しても「ヨソモノ」として客観的な見方ができるようになります。その客観的な視点が、対象地への理解を引き出してくれます。
それが『プロのヨソモノ』の技術です。
訓練を続けることで、その技術を意のままに操ることができれば、とても貴重な武器になるはずです。

「地元の人」にとっても武器になる技術

自分の地域を客観視してもらいたいという「地元の人」も意外と多いようです。しかし、そういう人も生まれた地域とは異なる地域を観察することによって、自分の地域で何が尖っているのか、気づけるようになるに違いありません。


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