悩みながら走り続けたその先で見つけたもの
こんにちは。谷内大翔です。
17歳の高校生です。
僕は高校生でありながら動画編集を仕事にして稼いでいます。
高校生でお仕事をしていることは少し珍しいかもしれません。
少し前の僕は自分が世間の中でこんなにもイレギュラーな存在になるとは思いませんでした(笑)ですが僕はそんな自分が大好きですし、毎日が楽しいです。間違いなく最高の人生だと言い切れます。
そして僕には目標があります。
僕は『あらゆる人の人生を最高のものにしたい』と思っています。
自分が幸せになれたのは時代のおかげであり、たくさんの人のおかげです。僕はその感謝の気持ちをこの世界に還元したいと考えています。
そんなこともあって今僕はこのnoteを書いています。僕は今でこそSNSで多くの方に応援してもらえていますが、僕の人生は結構ハードでした。そんな状況からどのように這い上がってきたのかを綴ることで誰かの希望になれることを信じて書き進めていきたいと思います。
はじめに
僕がこのnoteを書こうと思ったのは『株式会社GOAL-B』の皆さんの行動に感化されたからです。僕とGOAL-Bさんの関係については後々お話しする予定ですが、僕に良い影響を与えてくれた会社なので非常に感謝しています。
本当にありがとうございます。
目次
・小学校
・中学校
・高校1・2年
・高校3年
・現在
・未来
・最後に
小学校
・学童に通い充実した低学年
・道を踏み外した高学年
・学童に通い充実した低学年
僕は保育園の年中の時に親が離婚している。
父親が家を出ていく時に、離婚という言葉も知らない純粋無垢な僕は『どこにいくの?』と尋ねた。
帰ってきた答えは『買い物に行ってくる』だった。
しかしその後父親が帰ってくることはなかった...
その後片親となった母は僕と姉(4つ上)を日中は学童保育に預けた。
学校が終わった後に学童まで歩いていく時間も楽しく、学童ではたくさんの友達ができた。
学童ではイベントが多くたくさんの経験ができた。
加えて学童は1年生から6年生までが在籍していたので年上と関わることが多く、僕は年上と過ごすことが多かったように感じる。僕が年上好きになって中学高校と先輩とばかり過ごすようになったのもこの時の経験が大きいかもしれない。
そこではサッカーにのめり込み、高学年になった僕はサッカー部に入部した。小学4年生の時はサッカー部に入って部活に精を出す毎日。
だが小学5年生になって少しずつ歯車が狂いはじめていった...
・道を踏み外した高学年
小学5年生になった僕はいわゆる『不良』とつるむようになる。
僕の家は市営の集合住宅つまり『団地』なのでそういう輩は元々多かった。僕はそっちに流れてしまい、小学5年生で部活をやめた。
学校が終わったら不良仲間と地元のショッピングモールでカードゲームをしたりした。この頃は運動もしなくなったのでかなり太っていた。
そして僕はもっと悪い方に流れていった。
そして僕たちは『万引き』をした。
今考えたら顔を覆いたくなるような黒歴史。
僕はこんなくだらないことに人生の時間を使っていた。
結局私服の万引きGメンに捕まり、親を呼び出されこっぴどく叱られた。本当に親不孝なことをしたなと思う。
(その後お店にはちゃんと謝って解決しました)
こんなことばかりしていた僕はさすがに自分の人生が狂っていたことに気がつき、サッカー部に再入部する。
そこからはひたすらサッカーに打ち込んだ。
家族や学校の仲間の信頼を取り戻せるよう毎日必死だった。
その結果サッカー部の仲間たちだけでなく学校の仲間と普通に接することができるようになり、それから卒業まで楽しい学校生活を送ることができた。
中学校
・姉の背中を追い陸上部に入部
・なぜかモテる(あの頃に戻りたい)
・初めての県大会
・成功からの転落
・もう一度だけ...
・姉の背中を追い陸上部に入部
楽しい小学校生活を終えた僕は陸上部に入部する。
理由は『陸上部の姉がカッコ良かったから』
姉は4つ上なので一緒に練習したことはないが、姉を指導していた顧問が残っていたので陸上部に入ることにした。
陸上をやっている姉は本当にカッコ良くて、大会があるたびに賞状持って帰ってきて、リレーでは全国大会、個人では東海大会に出場している。
そんな姉に憧れて陸上部に入部したものの、サッカー部を引退してから運動せずに過ごしていた僕は太りに太ってまるで雪だるまの形相。
しかも種目は駅伝好きの祖父に勧められた『長距離』
太っていた僕は毎日練習がキツかった。女の子よりも遅いし、顧問にはデブと馬鹿にされる日々。だが諦めたくなかった。
僕の学校の陸上部は冬の朝練は3キロの『ペース走』と呼ばれるもので、本当は一定のペースで走り続けるものなのだが、血気盛んな中学生の僕たちは毎回全力のタイムトライアルをしていた。本当に地獄のような毎日だったが1日ごとにタイムが伸びていくのが嬉しかった。努力すれば必ずうまく行くんだと思った。
その結果チーム内でも上位で完走できるようになり、ますます陸上にのめり込んでいくようになった。
・なぜかモテる(あの頃に戻りたい)
同じ時期、体重がどんどん落ちて長距離選手らしい身体になった僕はなぜかモテはじめた(嬉しかった)
僕は勉強も運動もめちゃくちゃできる方ではなかったし、イケメンでもない。それでもモテた僕は普通の中学生よりかは多くの恋愛を経験し、人生の波に乗った。
部活の仲間と公園で水風船をした時の写真。なんとこんなのが結構モテた。
なのであなたも自信を持ってください(笑)
・初めての県大会(駅伝)
恋愛で人生の波に乗った僕は陸上でも結果を出せるようになった。
中学2年の夏に開催された名古屋市の大会にギリギリ入賞。そして名古屋市の強化指定選手の内定をゲット。
それからも勢いが止まらなかった。
僕たち長距離選手の1年間で一番の目標である駅伝のシーズンがやってきた。この年のチームは戦力がとても充実しており、僕たちはこの日に向けて一生懸命練習を重ねた。
そして迎えた当日。
僕たちはチーム一丸となって一生懸命走った。
その結果は...
男子5位入賞!!
女子◯位入賞!!
男女アベックで県大会の出場が決定した瞬間だった。本当に嬉しかった。これまでくだらないことばかりしてきた人生だったので何かで成功して称えられるのは初めてだった。
ちなみに僕の学校で男子が駅伝の県大会に出場するのは44年ぶりの快挙だった。
県大会での写真。長距離選手らしい体つき。
この時は部内で切磋琢磨して高めあい、走るのが最高に楽しかった。
・成功からの転落
順風満帆な中学2年を終え、僕は3年生に進級する。
引退まであと一年。どんな結果が出るのか楽しみで仕方がなかった。だが現実はそんなに甘くなく、人生の転落が始まった。
陸上はシーズンインしてから試合が立て続けにあるのだが、どれだけ走ってもベストが出ない...
それどころか練習には身が入らず途中で走ることをやめることもあった。昨年までは大会に出れば常にベストが出たし、練習も辛かったけど楽しくできていたのに...
そして高校最後の市総体。
実力はギリギリ県大会に進めるかどうか。
結果は途中棄権
レースの途中で走るのをやめてしまった。
もう何がなんだかわからなかった。レースで走るのをやめるなんてありえない。でも走っている時の僕の心の中はぐちゃぐちゃで本当にしんどかったのを今でも思い出すことができる。
後々顧問に言われて分かったのだが、これはイップスという症状らしく精神が原因でスポーツに影響が出ることみたいだった。
僕の場合、原因は”心が疲弊しきっていたこと”だった。
陸上は好きだったのだが、悪い意味で毎日陸上のことばかり考えてしまい、陸上が楽しいと感じなくなっていた。
それからも結果が出ることはなく、そのまま部活を引退した。
この時、陸上はもうやらないと決めた。
・もう一度だけ...
部活を引退した僕は特に熱中するものもなく、普通に学校生活を送っていた。学校ではクラスの仲間とバカをやったりして楽しい毎日だった。
それと同時に心がモヤモヤしているのも感じていた。
原因も自分の中で分かっていた。
あの大会だ。
完全に自尊心がなくなっていたし、このまま人生を過ごすのはよくないんじゃないか?と14歳なりに考えていた。
やっぱり陸上がやりたい。
陸上で感じた劣等感は陸上でしか拭えない。
そう思った。
そして僕は顧問の元へ行き自分の胸の内を打ち明けた。
陸上をやりたいです。高校では花を咲かせたいです。
顧問は快く受け入れてくださり、引退してから数ヶ月後経った12月に部活に復帰した。
だが陸上長距離の数ヶ月のブランクは大きく、体力が落ちまくっていて結構凹んだ。しかも心の疲弊は治ることはなく、走っていても体が辛くなるよりも先に心が辛くなり、走るのをやめることもしばしば。完全に精神を病んでいた。
中学3年のこの時期は受験勉強で忙しい時期だったが、僕は部活に行っていたので受験勉強をすごく頑張った記憶はない。
高校では陸上でもう一花咲かせたい
こんな思いを持っていた僕は、愛知県内の公立高校では強豪の高校に進学することを決めた。
受験勉強はあまりしていなかった僕だが、僕が志望していた学校は元々倍率が高いわけでもなかったため難なくクリア。合格発表の日は車で送迎してもらい、合否が貼り出してあるボードを数秒見て帰るような舐めプぶりだった。
高校1・2年
・調子が戻らず苦悩の毎日
・1年の秋にキャプテンに就任
・挫折の連続
・少しだけ見えた希望の光
・転機
・調子が戻らず苦悩の毎日
高校に合格した僕は、入学する前の3月から高校の練習に参加させてもらっていた。こんな学校で一番をとるなんて余裕。そう思いあがっていた僕だったが、練習初日に先輩たちの走りを見て驚愕。見事に伸びきった鼻をおられてしまった。
しかし絶対に結果を出したかった僕は少しでも速くなるために先輩方に金魚の糞のごとく付き纏った。元々先輩が好きだったことや、人間関係の構築がそれなりにうまかったこともあり、とても可愛がっていただいた。
先輩たちに張り付いてどうしたら速くなるかを勉強した結果、練習でも少しずつ以前のように走れるようになっていった。しかしレースに出るとベストから程遠いタイムでゴール。完全に調子が戻ったわけではなかった。
奇跡的にベストタイムが出てもコンマ何秒程度。
同級生や中学時代の仲間に置いていかれるのがとても悔しかった。
・1年秋にキャプテンに就任
夏のインターハイ予選が終わり、3年生が引退するとキャプテンの引き継ぎが行われる(もちろん僕は1年生なので候補にも入らなかった)
1年の時のインターハイ予選。3000mscに出場。
県大会には遠く及ばない結果だったが、トップレベルの走りを経験した。
次のキャプテン(僕ではない)が決まり、次は秋の駅伝に向けての練習が始まった。調子は悪くないが大幅ベストは出ないと言った感じ。
周りがどんどんベストを出していく中、自分だけ置いていかれてすごく焦った。
そして初秋のある日突然キャプテンになることになった。
理由は当時のキャプテンが女子だったこと。高校では男子と女子で最終下校時刻が違うので男子がキャプテンだった方がいろいろ都合が良い。
そこで、いつも先輩に張り付いていて陸上一筋だった僕が選ばれた。
僕はそれまでの人生でリーダーを務めた経験はない。その上どちらかというと何もしないのに口だけ出してくるスネ夫タイプだった。不安はあったが同時に期待もあった。自分がキャプテンになることでどんなチームになるのか楽しみだった。
慣れない仕事に慌てふためき、ミーティングでは大勢の前で話すことに緊張しまくり。毎日一生懸命だった。しかし少しずつ仕事もこなせるようになり、大勢の前で話すのも苦じゃなくなった(この経験のおかげで面接などでも特に困ることはない)が、ついに駅伝のシーズンがやってくる。
・挫折の連続
僕の学校は先述した通り、公立高校では県内屈指の実力がある。
そのため部内のメンバー選考もかなり厳しいものになる。全然ベストが出ていない僕はメンバーに入れるかどうかギリギリのところだった。しかしどうしてもメンバーに入りたかった。だってそのために陸上に復帰してこの学校を選んだのだから。
そしてメンバー選考当日。校内でのタイムトライアルが行われた。
タイムトライアルの結果は散々。メンバーから外れてしまった。
すごく恥ずかしくなった。なんのためにこの学校に来たのか。なんのためにキャプテンとしてこの部活に居続けたのか。『キャプテンなのに』という言葉が頭に浮かび、そこから逃げ出したくなった。
そして駅伝当日はサポートとして会場に行ったのだが、応援の途中で抜け出し、物陰で1人で泣いた。
その後、別の駅伝大会の選考からも漏れたり大会で途中棄権をして顧問に怒られたりと自尊心がめちゃくちゃになった。
その年の冬は僕の人生で一番辛い冬だった。
2年生に進級してもタイムは一向に伸びなかった。
一生懸命練習で良いタイムを出しても、レースでは惨敗。
完全にメンタルがやられていた。
・少しだけ見えた希望の光
2年生になってもタイムが出ない僕に顧問の先生は”競歩”を勧めてくれた。
当時の僕が競歩に対して抱いていたイメージは、現在皆さんが競歩に対して抱いているイメージと全く同じはず。
『地味』
華々しい駅伝で活躍することを夢に見てきた僕からしたら完全に邪道だった。しかし走りで結果を出せない僕は焦ってもいた。走りで結果を出すためにこの学校に来て結果を出せていないのだ。正直競歩をやるかはすごく迷った。
散々迷った挙句、なんとか結果を出したかった僕は競歩をやってみることにした。競歩は歩き方が決まっていて、レース中にその歩き方を守らないと反則を取られる。反則を何回か繰り返すとレースの途中でも退場になる。
最初はひたすら歩き方を練習した。レースに出ても反則になったら元も子もないからだ。正直いうと競歩は走るよりもキツイ。体力だけでなく筋肉疲労もすごい。それでもこの挑戦が背水の陣だった僕は練習に打ち込んだ。初めて出場した競歩の大会では失格にはならず、無難なタイムでゴールした。
競歩の試合に出ること自体が初めてだったため、それからは試合に出るたびに記録が伸びた。久しぶりの感覚でなんだかとても嬉しかった。
同時に僕の中で県大会に行きたいという想いが芽生えた。インターハイ予選はすでに終わっていたので新人戦で県大会を狙うことにした。
そして新人戦当日を迎えるまで僕は必死に練習を重ねた。
これでダメだったらこの先は絶対にうまくいかない。そう思っていた。
(実際競歩の競技人口は少ないのでこれでダメなら走りでは絶対にむり)
結果は5位入賞
なんとか県大会が決まった。
高校に入ってから初めての賞状。本当に嬉しかったが、走りで結果を出せなかったモヤモヤは少なからず残っていた。
それから競技面では特に大きい変化もなかったが、キャプテンとしてチームビルディングがうまくいかずすごく悩んだ。夏合宿では自分のことの他にチームの管理もしないといけなく、すごく大変だった。チームのためにエネルギーを使っていたため、自分の練習に集中して取り組めることも少なかった。合宿が終わって普段の練習に戻ってもうまく走れるようにはならず、辛い時期は続いた。
そして秋になり駅伝の日が近づいてくる。
今年こそはと奮起した。駅伝で結果を出すためにここにきたんだ。そのために2年間頑張ったんだ。と。
その年はそこまでチーム内抗争が激しくなく、僕はメンバーに入ることができた。それから当日まで僕はできる全てのことをやった。チームに貢献した。みんなで勝ちたい。その思いが強かったからだ。
そして迎えた当日。
個人としては最高の結果だったわけではないが、走っている間はとても楽しかった。”好きなことを追い続けて良かった”と思った。
そしてこの後は特に大きい出来事は起こらず、3年生になって陸上は引退した。
5年間陸上を続けてきて、僕は陸上からたくさんのことを学んだ。
・継続の大切さ
・リーダーの大変さ
・仲間と高めあう楽しさ
・楽しんでやっている時が一番成長すること
これらの学びは今の僕に大きな影響を与えている。
ビジネスをやる上でもそれ以外の場合でも非常に大切なことを陸上を通して学ぶことができた。そして長距離選手らしい忍耐強さも今の僕に生きている。
・転機
陸上付けで消耗しまくっていた頃、ビジネスに出会う。
多分きっかけはキングコング西野さんのビジネス書だったと思う。それがすごく面白くて、陸上しか興味がなかった僕にもう一つ興味を持てるものができた。最初は自分でビジネスをやろうなんて思ったことはなく、ただビジネス書を読んでいるのが楽しかった。
※Amazon参照
それからは読書の習慣がついた。
ビジネス書だけでなく、自己啓発や栄養学の教材などたくさん本を読んだ。その結果様々な価値観に触れることができ、人間として少しだけ成長した気がする。今僕が結果を少しずつ出せているのは間違いなくこの時の大量のインプットのおかげだと思う。
そして今でも週に3冊ほどは本を読むようにしている。
なぜなら本は自分より頭が良くて結果を出したいる人たちの経験や価値観が綴ってあるからだ。成功するためにそれを使わない理由はない。
もしあなたが成功したいと思うなら自分の目指す道のプロの書籍を読んだ方がいい。
そのような感じで「意識高い系」を半年間ほど続けていた。
自分もいつかビジネスをやって人生を変えたいと思っていたのだが、それが意外と早い段階で実現することになる...
高校3年
・コロナで休校に 本気で自己研鑽開始
・学校再開 病む
・奇跡の復活 最高の人生に
・コロナで休校に 本気で自己研鑽開始
前章でも述べたとおり、自分が思っていたよりもだいぶ早くビジネスの世界に飛び込む機会がやってきた。
2年の終わりがけにコロナで休校になったのだ。
もちろん部活もできないため、最後の試合を迎えることもないまま引退...
しかも休校が思ったよりも長い。勉強する気も起きなかった僕は、ここで初めて自分でビジネスをすることを決意する。なんのビジネスをやろうかと迷ったが、答えはすぐに出た。
ここでは書かなかったが、僕は2年の夏頃からカメラにハマっていた。出かけては写真や動画をとって自分で編集してSNSにアップしていた。
これは大阪に一人旅をした時の写真。結構気に入っている。
そしてビジネスを勉強していた僕は『動画編集』というビジネスモデルがあることも知っていた。これだ!!と思った。
自分の好きな動画編集でお金が稼げるならこれ以上ない天職だと思った。
そこで僕は動画編集用にMacBook Proを購入。30万円くらい。今までで一番高額な自己投資だった。そしてMacが届いた当日に早速動画を撮影して編集をしてYouTubeにアップした。
昔の動画を振り返るとすごくエモい気持ちになる。この時はシネマティックな動画にハマっていた。今でもかっこいい動画を撮りたい気持ちは変わらない。
そしてこの頃に初めてAKIOBLOGをみた。体に稲妻が走った。めちゃくちゃかっこいいと思った。そして『僕も彼のようになりたい』と強く思うようになった。
『自己投資が一番費用対効果の高い投資 その上自己投資の中でも一番費用対効果の高いものが筋トレ』
その言葉を聞いて筋トレを始めることを決めた。そしてその日から僕の本気の自己研鑽の日々が始まった。
5:00 起床
5:15 朝散歩
6:00 ブログ執筆(もうやめた)
8:00 筋トレ
9:00 動画編集勉強
12:00 昼食
13:00 読書
15:00 筋トレ
16:30 動画編集勉強
18:00 夕食
19:00 SNS運用など
22:00 就寝
休校中は毎日このスケジュールで過ごしていた。というよりかは普通に生活していたらこの生活になった。その結果自分が超朝型であることがわかった。
それから、自己投資に高校生とは思えないような金額を使った。
羅列するとこんな感じ。
・動画編集教材 70000円
・動画編集教材 30000円
・ストレングスファインダー 6000円
・読書 20000円くらい
・筋トレ用品 10000円
・プロテイン類 20000円
計 160000円程度
これだけサンクコストをかけた結果、明らかに自分が変わっていくのを感じた。めちゃくちゃポジティブになり自信が持てるようになった。いまだこの時の金額は取り返せていないが、自己投資をして本当に良かったと思っている。お金の落とし所を変えるだけで人生はこんなにも変わるものなのかと思い知った。
さて、この頃には僕もある程度の動画編集スキルが身につき、いよいよ仕事をとる時期だと思った。奇跡的にInstagramで動画編集者を募集している方がいたので連絡した。インターネットは恐ろしいものと学校で教えられていたので大人に連絡をするのは正直怖かった。しかしGOAL-Bの山宮さんのnoteに書かれていた『突っ込み力』のようなものでとりあえずやってみることにした。(最近はもっぱらエフィカシー王子の動画にエネルギーをもらっている)その結果継続的に案件をおろしてもらえる動画編集チームに入れたもらえることとなった。初心者の僕には現場を体験できる最高の環境だった。
それから少しずつ動画編集の現場で経験を積んでいった。動画編集の知識だけでなく、ビジネスマナーやプロ意識が身についた。これが一番でかい。現在は多くの大人の方とお仕事をさせてもらっているが、『これでも社会で通用するのか!』と思わざるを得ない大人が結構いたりする。高校生のうちにこれを身に付けられたのは僕の今後の人生で必ず役に立つと思っている。
それからSNSでの発信も本格的に始めた。いまではTwitterで1000人以上の方にフォローしていただいているが、最初は何を呟いても1いいねもつかなかった。僕の真剣なツイートよりも中学時代の同級生の女の子のメンヘラツイートの方が伸びていた。マジで悔しかった。血迷って僕もメンヘラになったら伸びるのかなと思ったりした(すみません嘘です)そんな感じで休校期間中はひたすら自己研鑽をした。
・学校再開 病む
休校期間も永遠ではなく、学校が再開された。
毎日自己研鑽のしまくりで人生を楽しみまくっていた僕は学校に行くのがいやだった。この頃には経営者の本やビジネスYouTubeをみまくって僕の視座はかなり高くなっていた。そのため学校にいる時は視座の違いから周りの学生と話が合わず、正直結構辛かった(いまでもギャップに驚くことはある)そのため家にいる時と学校にいる時で性格が180度変わり、二重人格のようになった。
だがそんななかでも絶対にTwitterの更新と動画編集の勉強はやめなかった。挫けそうになったときはAKIOBLOGをみて元気をもらった。
この時に諦めていたら今の僕はいないし、こんな面白い人生を歩むことはできなかった。本当にAKIOさんには感謝している。
視座の違いに苦しんだ僕だが、最近やっと自分の過ちに気づいた。
『視座が高いのが当たり前』そう思っていたのだ。だから楽しく過ごしている彼らが許せなかったんだと。自分の人生の方向性を決めるのは自分自身。それを第三者が指示したり評価していいものじゃない。そんな当たり前のことに最近やっと気づいた。
僕もまだまだ人間として未熟な点ばかりだと改めて感じた。それと同時に自分の可能性も。
・奇跡の復活 最高の人生に
それからはたくさんの挑戦と失敗をしてきた。
・プログラミングを勉強→失敗
・GOAL-Bのクラファンで30000円払ってAKIOさんのランチ券を購入
・大人がいる環境に飛び込みまくる
・GOAL-Bのジムに入会
・動画編集で月収20000円達成
そうやってたくさんの挑戦をしたし、うまくいかないこともたくさんあったた。でも一つ言えるのは『行動して良かった』ということ。インフルエンサーたちが行動しろという理由がわかった。「行動しないと何も始まらないのだ」
僕はこれまで最悪と言えるほど酷い人生を送ってきたが、大逆転してここまで面白い人生になるなんて思わなかった。本当に人生何が起きるかわからない。今の時代はなおさら保守的になってもそれが本当に自分の身を保守できるのかさえわからないほどだ。だからどんどん挑戦して欲しい。
僕の今の目標はこうだ。
『自分に自信を持って行動し最高の人生にする』
こんな人を増やしたい。心から思う。
僕のこれまでの最悪の17年間の人生からこんな想いが芽生えたのだ。
人生は本当に面白い!!
僕はこの目標を実現できるようにこれからも僕にしかできない発信を続けて行く。一度きりの人生を誰かのために使う。これ以上に幸せなことはあるだろうか。
現在
人生に絶望していた少年が『誰かの人生をよくしたい』と願うようになった。多分それは『株式会社GOAL-B』との出会いが大きく影響している。『AKIOBLOG』との出会いがあって僕の人生が変わった。最初は画面越しの存在だったが、今ではなんとGOAL-Bの方と一緒にお仕事をさせてもらうことになっている。
これは間違いなく僕が手や足を動かした結果だ。
僕がここまで行動できた理由を最後にお話ししようと思う
それは
『レベルの高い環境に身を置いたこと』
言い換えると『視座の高い環境に身を置いたこと』になる。
人間は自分のいる環境に引っ張られる修正がある。集団のレベルが高ければ自分はレベルの高い方へ引っ張られるし、集団のレベルが低ければ自分のレベルも低い方に引っ張られる。その点僕は視座の高い大人しかいない環境に身をおいた。その結果僕は高校生の枠を超えて活動することができている。
あなたも何か挑戦するときは自分のいる環境に気をつけてみて欲しい。
もちろん自分が行動することが一番大事だが。しかしあなたが思っているよりも環境の持つ力は大きい。自分の身を置く場所には気をつけて欲しい。
未来
これだけ楽しい人生を生きている僕だが、高3なのでこれからのことを考えなければいけない時期だ。
映像や栄養学が好きなのでそれらを専門的に学ぼうかと思ったが、Google検索やYouTubeで情報が得られる今に時代では得策ではないと思った。また、普通に大学進学も考えたが、これも環境の問題だが僕の周りには尊敬できる大学生がおらず、イメージもあまり良くなかったのでこれもやめた。就職は時間が取られるのでやめた。
僕は一年前くらいからフリーランスに憧れていた。元々集団の同調圧力が好きではなかった僕は(社会不適合者だと思ったこともある)フリーランスという生き方にすごく憧れていた。副業を始めた理由の一つでもある。しかし決め手となったのは動画に対するパッションだった。
クライアントの熱い想いを動画という形にして社会に届ける
この素晴らしさが僕をフリーランスという道に引き込んだ。ただ動画を作るだけならロボットでもいいが、クライアントの情熱を形にできるのはやはり人間しかできない。僕は編集している僕までもがワクワクするような動画編集をしたいと思っている。
だから僕は
高卒でフリーランスになる
という決断をした。学歴的なハンディは大きいかもしれない。だが僕にしかできないことを見つけた今それをやらない理由はない。僕の生き様で同世代の心に火を灯す。人生を全力で楽しむ。そう決めた。
最後に
僕はこれからも挑戦し続ける。
それを発信し続けて誰かの心に火を灯し続ける。
僕の生き様が少しでもいいなと思ったらこのnoteを拡散して欲しい。また、ぜひTwitterでもYouTubeでもいいのでメッセージを送って欲しい。そのときはぜひ熱い想いを語り合おう。
ただの高校生が最高の人生を生きている。
それだけはあなたの心に留めておいて欲しい。そうすればあなたの明日からの生き方が変わるはずだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
TwitterでもYouTubeでもメッセージ送って下さったら必ず返すのでぜひ気軽にお声掛けください。
あなたの人生が最高のものとなりますように
谷内大翔