冷たいということ
小学生、中学生、高校生のころは、この辺りはもう夏休みがほとんど終わりということで、残暑と同時に、残っている夏休みの宿題に追われる日々を過ごしていたように記憶している。
そもそもお盆を迎えてしまうと、もう海に行くことはできなかった。正確には海で泳がないほうがいいと言われてきた。それはクラゲが大量発生してしまうかららしい。お盆過ぎてから海に確認しに行ったことがないので、真実かどうかはわからない。
大学生になって夏休みが突然倍になりまだまだ今の時期はこれから夏の折り返しだという気分である。なお且つ、課題というしがらみから解放されている状態なので、自動的に箍が外されてしまった感覚である。緊張感なくのんべんだらりと過ごしてしまい、気付ば秋真っ盛りの10月を迎える。
夏は暑い。夏は冷たいものを欲する。アイス、かき氷、扇風機、冷房の効いた部屋、ふろ上がりのキンキンに冷えたビール。夏にとって冷たいものは正義である。ところで、秋は涼しい。のちに控える冬の趣を感じながら、ほんのり暖かなものに恋焦がれる。
熱いもの、冷たいものはその時々に応じて必要となったり、逆に邪魔になったりする。
コミュニケーションはこれらを持つことがある。熱いコミュニケーションとは楽しい話題、明るい話題、好きなこと、趣味の話、そういったものを語り合っている場面である。趣味なんかは熱く語るとよく表現される。冷たいコミュニケーションとは、悩みの話、愚痴の話、社会に対する論争、理論的な話をすることである。冷静沈着になって話すことが多いもののことである。どちらの話も重要で面白いものだと筆者は考える。
今このように定義した二種類のコミュニケーションの形態であるが、全く逆の感情を抱くことがある。熱いコミュニケーションで冷たい、もっと具体的に言うと嫌な感情を抱くとは、一方的な語りである。語っている側はもちろん好きな話なので熱いままなのだが、聞いている側が相手方のペースに乗れなかったり、知らない話題、興味のない話題だったりすると冷めてしまう。冷たいコミュニケーションにおいても話してる側が冷静さを失うことがある。理屈だって話していたにもかかわらず、いつしか自分の意見に慢心してしまい、自分の理論を相手に強要してしまうことがある。こうなってしまってはいくら理屈で語っていても、信ぴょう性が感じられなくなってしまう。
結局、いいコミュニケーションというものは、ともに熱くしたり冷たくしたりすることが必要である。逆に言えば熱かろうが、冷たかろうが、いい会話にすることができるということである。もちろん好き嫌いもあると思うので、万人に適用できる話ではないと思うが。一方的に、感情を熱くして爆発させることがいい事とは限らないのである。バランスよく会話できるようになりたいものである。
ただ、今は非常に、アイスコーヒーが飲みたい。
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