思考や発言から即時的に行動をとるか

 負のスパイラルとはよく言うもので、そもそも今の世の中連続的に積みあがっているものが多かったりするし、相互作用の絡み合いが複雑なことが普通である。だから、寧ろ負は連鎖すると考えたほうがいい。

 基本的になんでもほどほどがいい。雨が降るのも、時々がいい。こう毎日毎日降り続いてもらってはさすがのアマテラスも顔を出すだろう。雨が続くことで、地盤はゆがみ山は崩れる。そこに地震なんかが重なってしまえば、大惨事である。今日のニュースでは農家にも大きな打撃があったということで、野菜が高騰しているらしい。

 購買衝動を誘発するのも、ネガティブなきっかけであることが、今のマーケティングには多い。人目を気にする人々に、こういったところを気にしているんだよとあたかもそう考えている人が'あなたの周りには大多数いる'という風な宣伝をして購入させようとしている。ある人の話によれば、ニュースでマイナスな話が多いのは(それ自体にニュース的価値があるかどうかは関係なく)、そういったニュースでストレスを与えることで、人の購買欲求を刺激するなんて話もある。

 負は連鎖を生みやすいのかもしれない。

 これに関連して、世の中の人々にとって良くないと感じることを、発言したり、考えを発表したりすると躍起になって止めようとしてくる人がいる。

 こういった考えを持っているということは、時期にそれが表面化して、現実社会に大きな不利益をもたらすことになる。そんな風に考えている人がいるような気がする。

 特にこういった考えが少数派である場合、それを異端ととらえ、頭ごなしに批判する、○○警察みたいなヒーロー気取りが突然現れ、その行動に対してマジョリティーの人たちは何も考えずに称賛する。

 私はこのような構図のほうが恐ろしい。

 確かに世の中に危険思想が存在することは、ないとは言い切れないし、そういった思想が事件を起こした例もあると思う。しかしそういった思考、発言を察知した瞬間にやめろやめろの嵐では議論余地、思考余地を失いかねない

 このような行動をとってしまうということは考えることをやめてしまっているではないか。そして実際に動いた人をみた人たちも特に考えることもなく、その行動に加担する。全体の思考が止まってしまい、先に行動した、大多数の人々が考えている"らしい"、尊重している"らしい"、"正しいらしい"ことが正義だということになってしまう。

 SNSというツールは非常に短絡的に賛同できてしまう。非常に容易に拡散できてしまう。

 正しいらしいことが本当に自分の価値観と合っているのか、考えてから行動してもらいたいと思う。


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