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木を見て森を見ずとは言うが

 今日はものすごく天気が良かった。何年ぶりの青空だろうと感じるくらい、清々しい晴れだった。あまりにも良すぎたので、ただ日光を浴びたいという思いだけで外に出た。湖沿いを散歩して、日光浴をした。

 基本的には外出するとなると、何らかの予定があって出るものなので、何をするでもなく、ただただ外に出て散歩をするということをしたのは久しぶりだった。昨今は不要不急で外出するなとも言われているので、こういう外の出方は今してもいいものなのだろうかとも思ったが(思ってない)、寧ろこういう機会でないと散歩のためだけに外に出ようなんて発想は思いつかないと思う。

 まぁ、外に出たいという衝動は、日光を浴びて久しぶりビタミンDでもチャージしようかとも思ったり、山の木々などの緑を見て、目のヒーリングをしようとも思ったからであるが。

 今は夏なので、木の一本一本に注目しがちである。というのも蝉が多く鳴いているからである。ミンミンゼミやらニイニイゼミやらツクツクボウシやら、短命なその一生をただひたすらに鳴いて夏をにぎわす存在が、非常にエモい。

 そんなことより、タイトルの内容である。世の中には「木を見て森を見ず」という言葉がある。細かい事ばかりに注目しすぎて、全体を見通さないという意味の言葉であるが、基本的にこのことは悪いとされる。

 detailにこだわりすぎていてはいつまで経っても最終的な完成形に到達できないといった感じで、早く成果を上げろとか、わかりやすい結果を見せろとか、叱責を込めて言われることが多い印象である。それは実際そうである。独学しているときにもよくこの言葉を思い出すのだが、いちいち一言一言に詰まっていては、いつまで経っても先に進むことはできないし、やはり細かい精度よりも、多くのことをこなしたという事実のほうが達成感が得られるので、これを意識して頑張ったほうがいいと思う。

 でもある程度の習熟が得られているなら、木を一本ずつ見ていくことも必要なことだと思う。ここが二流と一流の差が如実に表れる部分だと思う。二流は大まかな出来で満足する。だいたい70点くらいで終わる。一流はさらに細部に着目して80点から90点にする。そしてそれでも満足できない人は100点を目指して日々努力を怠らない。

 心がけなければならないことは、「木を見る目」「森を見る目」を養うことが必要だということだ。どちらかだけに気を取られていると、気づいた時には足元をすくわれてるかもしれない。。。

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