かまわない愛情 #79
子どもが生まれてからこの方
手を出し、口を出し、ずっと
かまい続けてきたように
思います。でも、よく考えてみると
かまえば、かまうほど、
子どもが自分で考え、
チャレンジする機会を
奪ってしまったのでは
ないかと思います。
子どもを危険に合わせないため、
子どもの将来を考えて、
いずれも、子どものことを
考えて、かまうわけですが、
いずれは、独り立ちをしなくては
ならないわけですから、
成長のチャンスを奪っては
いけないと、かまわないように
してます。
かまうのは、親の一方的な
ものであって、子どもと
語り合うのとは別物です。
子どものやることにかまわない分
語り合うことは大切になります。
語り合うためには、お互いが
独りに人間として認め合うことが
必要で、一方的では話になりません。
この語り合いがあってこそ、
お互いの気持ちも分かり合え
通じるものがあると思います。
親も子どもも自分に責任を持ち、
お互いを尊重してこその
交流ではないでしょうか。
親は愛情と言う言葉の下に
子どもにかまい続けますが、
子どもは、それが愛情だと
わかるがゆえに辛いのです。
私を僕を信じてという
叫びが聞こえてきます。
成長とともにかまえることも
少なくなり、親が死んだら
何もできません。
だからこそ、静かに見守りながら
成長の機会を奪わないように
することが、愛情なのです。
仏教では、「恩愛断ち難く」
とあるように、子どもへの
愛情は親である限り尽きません。
だからこそ、自分の愛情に
溺れることなく、親自身が
自分を見つめていくことが
何よりも大切です。これは、
山に籠って修行をするよりも
はるかに厳しい修行かも
わかりません。
子どもではなく、自分の心を
見つめることを最優先にして
子どもと接してみては
いかがでしょうか。
(和尚の独り言)