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1. 2017年 ワクワクの初海外!オーストラリア留学開始!!
時は、2017年
一年間浪人をして入った大学での2年生の時のお話です。
旅行が好きという理由で、観光学部に所属していた当時、ようやくお酒解禁ということで、楽しむこともしばしば🍺 アルバイトをしながら、大学の授業を受けて、家に真っ直ぐ帰るというごく平凡な生活をしておりました。サークルとかにも入ってなかったですからね。そんな中でのビッグイベントが、オーストラリア留学でした。8月からの留学でしたので、そこを境にお話しできればと思います。
4部構成です!
1、留学前の私
2、出国当日
3、留学初日
4、留学前半の前半戦
5、留学前半の後半戦
1、留学前の私
先程もお伝えしたとおり、ごく平凡な大学生活を送っていました。大学の授業を受けて、真っ直ぐ家に帰り、課題を終わらせて、アルバイトに行く。そんな感じの毎日でした。たまに、ご飯に誘われることがあったので、参加して楽しんだりしてました。もっぱら、話す話題はたわいのないことばかり、好きな人は?とか、課題は順調?とか、あの先生は...とか。でも、それがすごく楽しかった時期でもありました。
もう一つの楽しみといえば、江ノ島、鎌倉、横浜散歩🚶元々、自然が好きだったので山も海も楽しめる江ノ島が大好きでした!あと、お寺とか神社とかがいっぱいある鎌倉。特に、綺麗な竹林で知られる報国寺にはよく行っていました。要は、癒しの散歩ですね笑 そして、横浜の綺麗な夜景をみて、中華街で爆食をするというコースが、自分にとっては定番になっていました。
こんな感じで、みんなでワイワイというよりも、1人でしんみり楽しんでいた大学生活を当時、送っておりました。
2、出国当日
いよいよ待ちに待った8月。留学開始の月。出発日は家族全員で車で送ってもらいました。気合いを入れたい!ということで、前日に坊主頭にして、いざ空港へ。車の中での会話で、当時熱帯魚を飼っていたのですが、お世話の仕方を伝えるのをすっかり忘れており、一生懸命妹に伝えたのですが、「わかんない!」と一蹴されてしまい、若干心配になったのをよく覚えています。まぁ、自分が悪いんですけどね笑
何やかんやで、空港に到着。まず、坊主頭をいじられました。どうしたのって笑 飛行機は修学旅行で沖縄に行った時以来、パスポートなんて扱ったことがない、という感じだったので、あたふたあたふた。大学の先生の指示のもと、何とか出国手続き完了。いよいよ、搭乗ゲートへ。家族や友達が手を振って送ってくれたのを今でも鮮明に覚えています☺️ 感動したな、あの時は。
そして、いそいそ金属類を外し、搭乗エリアへ。なぜか、当時学級委員?みたいなことをやっていたので、人数を数えたり、点呼をとったりしてました。で、いよいよ飛行機へ。ワクワクとドキドキが交差する瞬間。これから10時間、飛行機の中、しかも初海外。胸が膨らむと同時に一種の恐怖感も感じる瞬間です。
アナウンスが流れ、ゲートへ。スタッフにチケットを見せて、いざ出国。さぁ、これから頑張るぞと意気込んで、飛行機へ向かいました。
3、留学前半戦
そんな感じで、ドキドキワクワクな留学生活が始まりました!飛行機内では、興奮で一睡もできなかったので、ひたすらオセロをやってた覚えが... 気づけば日付も変わり、外が明るくなってきて、いよいよオーストラリア到着の時間に。身支度を済ませて、CAさんに挨拶をして、飛行機を後にしました。到着すると明らかに異国感!まぁ、異国なんですけど... メルボルンという都市だったのですが、何もかもが新鮮でどこに行けばいいのかもわからない。プラス困ったことに、学級委員だったので、クラスをまとめなきゃという責任感にも苛まれ、あたふたあたふた。ようやく、出口に辿り着いた時には、クラス全員が揃っていたという状態でした。ちなみに、この留学は学部単位で行っているものなので、個人的な留学ではないことを、予め断っておきたいと思います。
そして、バスに揺られて市内地へ。これからお世話になる語学学校で説明を受けて、ホストファミリーと合流。当時のホストファミリーはブラジル人であり、すごく親切で優しくて、親日家で、本当に素晴らしいところに住まわせてもらえたなと今でも心から思っています。
移動中の電車内では、主にサッカーの話が多かったです。父が根っからのブラジルファンだったので。そして、無事家に到着して本格的に留学スタートとなりました!
4、留学前半の前半戦
約1年間の留学、最初の半年間は市内の語学学校で勉強することになっていました。授業初日、わかんない、の連続。留学前に英語の勉強して、それなりの成績は取っていたのですが全く話している内容がわかんないという事態に。クラスメイトの話もわからないから、会話がうまくできない。何とか、身振り手振りでハイテンションということを伝えて、なかなかのゴリ押し戦法で友達を作ることはできました笑 でも、理想とは程遠い言語力。どうしようと。
まずは、先生の話を理解することから始めました。行ったのはシャドーイング。よくあるやつです。家でのインターネット学習はもちろんのこと、授業中も先生の話を見よう見まねで口パクして、頭の中で理解するみたいなことをやっていました。あと、スピーキングについては、1日ずつ知ってる文法で文章を作る練習をしてました。現在過去未来はもちろん、現在完了や関係代名詞、従属接続詞を使った文章など。文法は受験で嫌というほど勉強しましたので笑 そんなことをしていると、どんどん上達していきます。だんだんと先生の話も聞けるようになり、質問されても、うまくはないですが答えられるようになっていきました。
そして、迎えたテスト。当時は、5週間ごとにテストを行い、所属クラスが決まるという仕組みでした。そこで、練習をいっぱいした甲斐もあり、いい成績を取ることができました!スピーキングのテストでは、もっと喋りたいってなり、先生や友達に笑われてしまう始末。本当に楽しかったです!成果が目に見えてわかるっていいですよね♪
5、留学前半の後半戦
そんな感じで、留学としていいスタートを切れたかと、思われました。先生とも仲良くなり、友達もいっぱいできて、家では美味しい料理が食べられて。
ただ、ここである出来事が。先程、こちらの留学は個人のものではなく、学部単位で行なっているものであるとお伝えしました。なので、多くの知り合いが周りにいることになります。その結果、幸か不幸か、次のクラスではクラス内に外国人より日本人、それも知り合いばかりのクラスになってしまったのです。意思疎通は計りやすくなったのは間違いないのですが、やっぱり気が緩んでしまう。ここから先は、想像に難くないと思います。だんだんと勉強の熱も冷めていき、自分に課していた課題も作らなくなり、外国人とあまり関わらなくなり。本当に、日本にいた頃とほぼ同じ環境になってしまったわけです。自分の意思が弱いということが一番なので、一番悔いる部分はそこなのですが、やはり今考えるともったいなかったなと思います。
そして、12月。インターンシップの機会が与えられ、希望していたツアーガイド、オーストラリアに旅行に来た日本人を観光地にお連れするツアー会社、に行かせてもらうことになりました。その方達が日本語を使えたからいいものの、英語になると全く聞き取れない、話せないという感じでした。すごく優しい方達だったんですけどね。もっと話したかったな。
そんな感じで、少し歯切れの悪い留学前半戦となってしまいました。
では、この後どうなったのか。それは、次の章でお伝えしたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます😊
よければ、次章も読んでくださると嬉しいです♪