中之条ビエンナーレ -想像することを続けて- 上毛新聞 オピニオン視点 2011年10月4日連載
「中之条町は美術館に変わります」というキャッチコピーで町を賑わした中之条ビエンナーレは、今年で3回目を迎えた。
それまでこの土地で数年間続けてきたアートプロジェクトは単なるイベントの枠を超え、町を形作る地域創造としての重要な役割を果たすようになってきた。今では数人の作家が移り住み、町には作家の作ったバス停や街路灯などが見られ、その風景には少しずつ変化がみられる。この美術祭に参加するということは、場所を探して準備するところから始まるので、地域と関わり合いを持たなければ展示をすること自体が難しい。こうして長期滞在した作家にとって、この町は「お帰り」と言って迎えてくれる故郷となり、地域と育んだ多くのつながりはイベントが終わった後も残り続けるだろう。
旧六合村では中之条ビエンナーレの前夜祭で歌舞伎やライブなどが行われ、企画からそのほとんどに関わったのは地元出身の若者たちであった。中之条ビエンナーレを始めたころ、実行委員会はよそ者の集まりだったのだが、今ではその半数以上は町民である。今年の参加作家にも県内出身または在住の作家が目立つ。今、各地で行われているアートイベントの多くは、作家が自分の育った土地で舞台を作るために、文化の土壌を耕しているのだと感じる。
開催当初、地元では「よく分からない」「難しい」と言われていたアートに対して、回を重ねるにつれ「この作品が好き」「あの形が面白い」といった自由な意見が出るようになった。
開幕イベントでは地元ダンスチームが素晴らしいショーを披露し、その後には身体表現のアーティストが迫真に迫るパフォーマンスをみせてくれた。出番の終わった地元ダンスチームは雨にぬれていたにもかかわらず、その身体表現の一部始終を食い入るように見ていた。私はその瞳の中に数年かけて築いてきたものを見ることができた。
アートが理解しがたいという位置づけから、自分で感じ取るものという価値観に変わってきたのだ。入場者数などの数値化された成果ではなく、本質的に価値のある文化の土壌ができつつあるということだと思う。
英国の詩人ウィリアム・ブレイクの残した言葉がある。「一粒の砂に世界を見る 一輪の野の花に天国を見る 手のひらに無限を掴み ひとときの中に永遠を捉える」。芸術を感じるには鑑賞者側にも想像することが必要とされる。これからもこの先も世界を形作るのは想像力であり、人間にとって歩み続けるということは、想像することを止めてはならないということだろう。
(上毛新聞 2011年10月4日掲載) コラム視点 山重徹夫
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