240619_記述012_IE-NIWAについて⑨
「IE-NIWAについて」というタイトルを付けて書き始めてから今回で9回目。すべてがIE-NIWA直接の話ではないのだが、それを通して考えたことの話題が多い。今は次回の秋開催に向けてのIE-NIWAをそろそろ企画し始めようかと思っている。場所や関わってくれる方を選ぶか。それも含めてIE-NIWAの私個人的な楽しみでもある。
第1回〜第3回までは自宅での開催、第4回からは別の方のお家や場所を借りての開催となっている。自分たちの家でやらない場合は必然的に他者が関わる。もちろんその場所に関わりの強い人への興味関心が強いからこそIE-NIWAをやろうという思いに至る。どのように開催場所や一緒に場所を作ってくれる人を選んでいるのかというと巡り合わせでしかないのだが、わざわざIE-NIWAのためだけに探したりすることはない。あくまで自然な形で出会った人たちや場所がきっかけとなっている。今はそんな作り方だ。
関わってもらう・参加してもらう人には自分自身の興味関心や表現を持ちつつも一緒に場所を作ってもらうという感覚でやってもらっている。その人自身の作品が自立していながらも場所との関係性の中で作られているようなもの。ごく普通の話のようだが、これには多くのコミュニケーションが必要だ。自分自身で作り上げたものを持ち込むだけではないもう少し深入りした関わりを持ちながら作るようなイメージ。それを庭も含めて場所全体として一緒に作り上げていくのは意外にも大変である。
IE-NIWAは一時的な場所づくりなので個別の作品たちは空間へと集約されていく。空間として立ち上がった時には経験可能なのものとして皆がそれらに対して意見を述べられる。色んな価値観を持って批評なり感想なりを伝えられる。空間、場所とはそのように皆が身体を潜り込ませることのできる公共性を持っている。空間に集約されていくのと同時に空間が持つ公共的側面を与えられるので、それが自動的に共同制作を可能にする。これもまた当たり前の話であるがこういったことを意識することで場所や作品の解像度が上がるのかもしれないと期待している。
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