雑誌を作っていたころ004
自分の企画
自分で企画した特集企画が1冊の本になったのは、配属されてちょうど1年後だった。「大発明・珍発明500集」というタイトルだ。この企画は、入ってすぐに嵐山編集長と焼き肉屋に行ったときに生まれた。
「山崎は、なにか興味を持っていることとかないのか?」
「うちの特集にできそうなものでですか?」
「そうだ。だが鉄道はダメだぞ。SLブームは去ったからな」
「個人的にはSFとか発明とかに興味がありますが」
「SFはちょっと絵にしづらいな。発明はいいかもしれない。今日から暇な時間を使ってリサーチしろ。毎週の課会で聞くからな」
それから長い調査とダメ出しの繰り返しを経て、自分の考えたものが雑誌の特集になった。表紙になりそうなものを探したあげくに、イベント屋さんが持っていた蒸気自動車に行き着いた。
取材でかけずり回り、デザイナーとマンツーマンで写真選びをした。原稿書きは編集部に2週間泊まり込んで仕上げた。
見本が届いたので、台車で取りに行った。感慨無量でエレベーターの天井を見上げていると、同乗していた隣の編集部の先輩記者が聞いてきた。
「これ、きみが企画した特集?」
「はい。初めての特集です」
「そうか、嬉しいもんだよな。俺も覚えているよ。ちょっと見せて……あれっ? 表紙のここ、誤植じゃないか?」
「えっ!」
マジで心臓が止まったと思った。
「ははは、うそうそ。新人はみんなやられるんだよ」
エレベーターの床に、へたり込んだ。涙目になっていた。
表紙をスキャンするために、あらためてこの本を眺めてみる。昭和55年5月発行。遠い昔だ。登場している人の中には故人も多い。苦労してアポを取ったソニーの井深大氏、イラストレーターの真鍋博氏。たくさんの人ともう会えないが、少なくともこの本を見れば、会ったときのことを新鮮に思い出せる。これがぼくの財産なのかもしれない。
この号は実売率90%を記録。「太陽らしくない」という社内批判は、その数字の前に声を潜めた。
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