見出し画像

雑誌を作っていたころ005

別冊太陽へ

太陽の「大発明・珍発明500集」が終わり、ぼくは毎日、借り集めた商品の返却などに追われていた。特に東急ハンズや伊東屋、王様のアイデアなどから借り集めた商品は点数が膨大で、リストと照合しながらの発送作業が続いた。

そんな残務整理に追われているころ、雑誌部長から呼び出しがあった。
雑誌部長は馬場一郎といって、平凡社雑誌部中興の祖である。「別冊太陽」などを創刊し、「ムック」という言葉と概念を発明した雲の上の人だ。

「太陽」に松本清張や舟橋聖一、瀬戸内晴美など、実力派の作家を引っ張り込み、最高部数を記録したのも、彼が編集長時代のことである。
肩書は常務取締役編集局長兼雑誌部長。相撲取りのような巨体で、平家ガニのような顔をしている。要するに「怖い人」なのだ。

そういえば最終面接で「太陽」の蒸気機関車特集を「誤植だらけ」と断じ、「詳しい人に見てもらうべき」と偉そうに発言したとき、真っ赤になっていたのはこの人だった。

だが、ぼくを雑誌部に引っ張ったのもこの人だった。馬場さんはとにかく大きな男が好きで、だから太陽編集部には180cmクラスがごろごろしていたのだった。

馬場さんの話は、異動だった。
隣の「別冊太陽」編集部から引き抜きのオファーが出ているので、受けろということだった。

ちょっと前まで学生をしていた身では、なんのことやらわけがわからない。
ただ、入社して3年間はノーと言わないつもりだったから、承諾した。

すぐ組合から呼び出しがかかる。労組がめちゃくちゃに強いこの会社では、組合員の異動は労組の承諾がなければ実現しない。そして労組は「いかなる理由でも本人が納得していない異動は承認しない」という姿勢でいた。異動を拒否できる要件の最後に、「その他納得がいかないとき」と書かれているのはそのためだ。

「君のような異動は異例だよ」
と、組合の書記長が言った。
「入ってまだ1年ちょっとだろう? ドジの連発で追い出されるのならわかるが、隣の編集部から引き抜きがかかるというのは、よほど見込まれたか、誤解されているか、どちらかだ」

メーデーで派手に赤旗を振り回したぼくは、労組の受けがよかった。よその出版社のスト応援にも、指名を受けると元気に出かけていたからだ。先輩たちの多くはパチンコに行ったりしてサボっていた。

「不思議なのは、いまの職場長も賛成していることだ。一度、嵐山さんに話を聞いてみたらどうかな」
書記長にそう言われて席に戻ると、ぼくが動くよりも早く、編集長からの伝言が机の上に貼ってあった。
「筒井君と一緒に新宿にくること。嵐山」

あわてて出かけようとしていると、デスクの筒井さん(現・筒井ガンコ堂。池波正太郎の腹心で笹沢左保のブレーン。エッセイスト)がにこにこと近づいてきた。この人は、怒っているとき以外はいつもにこにこしている。
「例の件で、親分が話したいってさ。さ、行こう」

バブルの余波で一時は滅亡が噂されたゴールデン街だが、当時は「魔窟」として最高潮のにぎわいを見せていた。筒井さんに連れられて行った先は、狭い木造の階段を上った2階にある小さな居酒屋。嵐山さんは、カメラマンの荒木経惟氏、高梨豊氏と飲んでいた。

「おお、ヤマザキ、来たのか。じゃ、ちょっと失礼」
隅っこのテーブルで嵐山さんと筒井さんの話が始まった。それによると、入ってすぐに「別冊太陽」に回されるのは、雑誌部ではエリートコースなのだという。嵐山さんも筒井さんも、かつては「別冊太陽」の編集長だった。

「たった3人で、200ページの本を3か月ごとに作るんだ。体力と知力の勝負だぞ。広告も連載もない、全部が特集の本なんだ。東大卒のお坊ちゃん編集者にはとてもつとまらない。お前が2週間泊まり込みで発明の特集をやっているのを見て、向こうの編集長が使ってみたいと言うから、俺も賛成した。馬場さんも注目しているぞ。がんばれよ」

2人にそう言われて、不安はすべて消し飛んだ。
世界がぼくのことを祝福しているような気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?