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雑誌を作っていたころ034

再び「ドリブ」へ

 ムックコードのない青人社は、「日本こころの旅」を出すことができない。そのために編集部は解散し、ぼくは書籍の仕事を担当していた。過去に「ドリブ」で連載した記事をまとめるもので、邱永漢、福富太郎、松本孝、サエキけんぞう・伊藤銀次といった人たちの本を作った。

 そろそろネタ切れで、やることがなくなってきたなーと思ったころ、ドリブ編集長の清野さんから声がかかった。清野さんは青人社ができたときに取材に来たフリーライターで、会社の雰囲気が気に入って、そのまま居座ってしまったという経歴の持ち主である。

「若いスタッフばっかりになったら、進行がめちゃめちゃになってしまい、凸版から毎月クレームが入っている」
 のだそうだ。で、ぼくにデスクをやれという。

 若くして編集長を経験してしまったぼくは、もう一度組織の中で自分を見つめ直す必要を感じていた。だから、中間管理職もいいかなとOKした。凸版印刷の早部さんは大喜びで、「おとこの遊び専科」みたいな進行をしてくれるのなら、校了日を繰り下げてもいいと言ってきた。

 もちろん、ただデスクをやるだけでは体がなまってしまうから、自分のページも持たせてもらうことにした。早速、流行の兆しを見せていた「伝言ダイヤル」の取材をしたいと申し出た。ダイヤルQ2は大事な広告源でもあったので、すぐに企画は通った。

 とはいうものの、ありきたりの紹介記事ではつまらない。まずは実態調査ということで、約1カ月の間、伝言ダイヤルにはまってみた。自慢じゃないがぼくはマメでしつこい性格だから、たちまち女性の知り合いがたくさんできた。そのときにできた友人の1人は、今もマイミクである。

 デスクの仕事に就いてみると、若い編集者たちの実力のなさに唖然とした。彼らは格好こそは雑誌編集者だが、教養もなければガッツもない。一番悲しいのは、ポリシーがないことだ。適当に興味の湧いた企画を通し、ライターに取材させて、カメラマンに写真を撮らせて、イラストレーターに挿絵を描かせる。自分がやっていることといえば、デザイン事務所に材料を運び、できたレイアウトを関係者にFAXして原稿を待つだけ。大出版社の編集者によくあるスタイルを真似しているだけなのである。

 ダイヤルQ2の広告で潤ってはいたが、雑誌の売れ行きそのものは伸び悩んでいた。その原因が「大企業病」とは思ってもみなかった。彼らは当たり前のようにタクシーを使い、バイク便を走らせ、高額の会合費を請求する。編集部は腐り始めていた。

 ぼくは編集部に次のような通達を出した。「自分で書く企画を必ず1本は持つように」。そしていい加減な進行をする編集者をきびしく追求した。その結果、素行不良の似非編集者が次々と会社を辞めていった。

 そのころ、清野さんがアウトドア企画を導入し始めた。「書を捨てよ、旅に出よう」の気分を読者に伝えようと考えたのである。編集部にアウトドアのわかる人間は彼とぼくの2人しかいない。編集長とデスクが合作する企画がスタートした。

 ただし清野さんはバックパッカー派、ぼくはオートキャンプ派。アウトドアという共通項はあっても、その内容と精神は水と油である。
「あの2人、取材先で大げんかするんじゃないのか」というのが、編集部の噂になった。が、実際はそうならなかった。清野さんがオートキャンプの良さを受け入れてくれたからだ。コールマンのツーバーナーストーブやツーマントルランタンを使い、中で立って着替えができる大型テントを張り、椅子とテーブルを出してくつろぐオートキャンプのスタイルは、スパルタンではないがより多くの人に受け入れられる。アウトドアにはいろいろな楽しみ方があっていいじゃないかという結論になったのだ。

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