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雑誌を作っていたころ031

ケチ


 広告収入の飛躍的な増大で、青人社は学研からの独立による財政的危機を乗り切り、黒字基調で決算を迎えた。売上金額は約10億円。経常利益は1億円を超えた。ということは、数千万円の税金を支払うわけだ。

 ぼくらは連日、社長の机の周りに集まり、さまざまな陳情を繰り返した。
「机と椅子を新調してほしい」
「編集者の仮眠施設を作ってほしい」
「電車の中吊りポスターを復活してほしい」
「もっときれいなビルに引っ越したい」

 要するに、みんな税金を払うのがもったいないと感じていたのだ。だから経費で使ってしまおうと、さまざまなプランを持って社長を責め立てたというわけだ。だがしかし、社長が許可したのは冷蔵庫の買い換えと、ポータブルワープロ5台の購入だけ。どちらもぼくの稟議だ。

 大型冷蔵庫への買い換えは、社長が夕方飲むビールを冷やすのに必要だったし、5台のワープロは、当時進行しつつあった原稿の電子化に対応するために、どうしても譲れないものだった。しかし、その他の要望はすべて却下された。

「あのケチ社長がなぜ税金を払うのか」
 という疑問で、社内は騒然となった。そのことに関する質問を、社長はいっさい受け付けなかったので、疑問は様々な憶測を呼んだ。

 ひとつの答えが提示されたのは、それから数カ月たった後のことだった。業界紙に出版社のランキングが掲載されたのである。いち早く社長が赤鉛筆で印を付けたところには、青人社の名前が第50位として載っていた。

「どうかね。平凡社はこの中にないんだよ」と得意満面で語る社長の顔を見て、ぼくらは「ああ、社長はこのランキングに載りたいから税金を払ったのだ」と納得した。コストの高い見栄だと、やりきれない思いだった。

 しかし、その理解は甘かった。それから3年後に社長が食道ガンで死去したとき、学研の経理担当役員が「あのときの税金は、馬場くんの役員報酬を払うためのものだよ。税引き後の利益を見て、役員報酬というのは支払われるのだから」と、こともなげに語ったのが真相だった。社長は自分のボーナスを少しでも多くするために、ぼくらの要望を蹴ったのだ。

 その時点ではまだそんな駆け引きは知らなかったが、ぼくは「この社長から何かを引き出すには、騙さなければダメだな」と悟っていた。それが、翌年のマッキントッシュ購入につながる。ぼくはDTPの個人的な実験をするために、総額300万円の買い物をしようとしていたのだ。

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