雑誌を作っていたころ046
バブル出版
資金源である「ワールドマガジン社」を失った青山氏は、青人社の経営に没頭するようになる。年商10億円程度の会社なのに経理をオフコンで処理しようと考え、長い間青人社の経理を仕切っていた大江さんというおばちゃんを首にしてしまう。「コンピュータが使えない人には、用がない」というわけだ。
入れたのは東芝のオフコンだったが、ぼくは余禄でノートパソコンと携帯電話をもらった。「いくらなんでも社長の独断で、合い見積りもとらないで決定するのはまずいだろう」と考え、同級生に電話してカシオからも見積りを取ったため、東芝のセールスがぼくを懐柔しようとした結果だ。ちなみに、この同級生というのは、このストーリーの第1話で登場した広告研究会の仲間、西村である。彼は今、福岡でコンサルタントをやっている。
サテライトプロというそのノートパソコンは、ぼくにとって初めてさわるウインドウズ95機だった。ウインドウズ3.1のパソコンは、オリベッティのマシンを借りて使ったことがあったので、経験があったのだ。初めて使うウインドウズ95は、Macと違い実務的で色気がなく、それなりにおもしろかった。
携帯電話はドコモの安いやつ。ノキアの機械だった。のちに「シティホン」と呼ばれるやつだ。しばらく使っていたら、携帯電話のショップを経営している先輩がやってきて、「そんな筆箱みたいな携帯は使うな。東京デジタルホンの箸箱にしろ」と、半ば強引に替えさせられてしまった。おかげでぼくは、それからJフォン、ボーダフォンと名を変えたが、今もソフトバンクのユーザーである。
青山さんは企画にも首を突っ込むようになった。ただし、業界については素人であるため、企画会議では発言しない。言うことを聞きそうな社員を一本釣りしては、そいつに因果を含めて自分の意思を通そうとする。おかげで職制のピラミッドや企画会議は意味をなさなくなった。
あるとき、おかしな単行本の企画が進行していることを察知した。インターネットでかき集めた笑い話をまとめて、コンビニを中心に売ろうとするものだった。急にそんなことをやろうとしても、面白いものができるはずもない。もしコンビニで売るとなると、初版は10万部に達してしまう。売れなかったら、大赤字だ。
企画は、青人社のイエスマン社員と、旧ワールドマガジン社の残党とでまとめられていた。ぼくが口をはさむ余地はまったくない。青山さんは人脈をフル活用して、毎日のようにコンビニ本部にセールスに通っている。危機はどんどん近付いていた。
旧態依然の業界に新風を吹き込むのは悪いことではない。取次任せにせず、コンビニ本部を直接攻略するのもよいアイデアだ。しかし、それで売り込んだ本が惨敗したら、やったことがすべて裏目になる。
ぼくはそのことをくどいくらいに青山さんに警告した。だが、それに対する返事は「だから君たちはうまくいかなかったんだ」という言葉。ビジネスの仕組みの中では正しい行動、正しい動きなのかもしれないが、コンテンツビジネスの根幹をわかっていない人にそのことを理解させるのは難しい。天動説を信じている人に人工衛星の仕組みを教えるようなものだ。
ここに至って、青人社の中に「このままでは危ない」という空気が漂い始めた。どうやって軟着陸させるか。そのための非公式な会合が、毎日開かれるようになった。
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