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雑誌を作っていたころ024


「茶の湯紀行」本表紙

二つの顔を持つ雑誌


ひさご寿司2階でのラフレイアウトは順調に進み、いよいよ表紙を選定する場面となった。ぼくは清水さんが撮影した名古屋城猿面茶席が一番だと思ったが、社長は「茶の湯の本は茶碗が表紙でなければならない」と譲らない。一応、根津美術館の重文「雨漏堅手茶碗」を候補に選び、学研販売局と相談することとした。

これにてカラーページの編集作業はデザイナーの手に移り、すべてのカラーページの材料を手に、池田さんは帰路についた。普通のグラフィック誌では、テーマごとに少しずつデザイン入れをするものだが、ぼくらは「別冊太陽」の流儀で作ることにしていた。そのほうが全体を見渡しながらデザインの作業できるからだ。100ページ以上の写真や見出し原稿を一度に渡されるので、デザイナーの受けるプレッシャーは大きいが、それをこなせる人に頼んでいるので安心だった。

さて、学研販売局の返事は、「そりゃ茶碗のほうが強いでしょう」というものだった。社長は得意顔だったが、そうなるとみんなに公約した「一番いい写真を表紙に使う」という約束が果たせなくなってしまう。

悩んだあげくに、ぼくはカバーと表紙のデザインをまったく別のものとすることにした。カバーの表紙は「売るためのもの」で、カバーを外した本表紙は「保存するためのもの」。これなら表紙に好きな写真が使える。ついでに、カバー裏に2色印刷でイラストマップを入れることにした。

こうして、カバー表紙は「雨漏堅手茶碗」、本表紙は「名古屋城猿面茶席」となり、ぼくはスタッフへの公約を果たすことができた。だが、今ならそんなことをしたら、製作部から大目玉を食らってしまう。カバーと本表紙の図柄は同一とするのが常識で、しかもたいてい本表紙は1色刷り。それなのに別の4色デザインとし、さらにカバー裏にも2色印刷の図柄があるのだから、印刷コストは当然高くなる。おまけにこの本は広告とのかねあいでカバーの折り返しが深く、手折りでないとかけられない。まったく優雅な時代の産物だったのだ。

できあがった「茶の湯紀行」は、幸いにも上々の売れ行きを見せた。編集部には読者からの電話が鳴り響き、「予約購読したい」「ほかにはどんな号があるのか」などの質問に忙殺されることとなった。うれしい悲鳴とは、まさにこのことだ。しかし、次号の企画をめぐって、社長と学研販売局が対立してしまう。せっかくの新編集部に、早くも暗雲がたれ込めた。

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