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雑誌を作っていたころ083

取材の道具

2008年3月のmixi日記に、インタビュー取材の道具のことが書いてあった。

取材時の記録、メインはノートである。サブが録音機。昔はテープレコーダーだったが、最近はICレコーダーになった。取材メモに使うには明らかにオーバースペックのEDIROL R-09という機種を使っている。ローランドというメーカーから想像できるように、これはオーディオ機材である。録音レベルを最高にすると、CDよりも高品質の録音ができるそうだ。この性能のおかげで、ノートに筆記したメモを補完するために聞き直す作業が快適である。「いい音」というのは大事だと思う。

一方の筆記用ノートだが、ここ5、6年はコクヨの「ス-15SN」というA4サイズのスパイラルノートを愛用している。5mm方眼で切り離すと2穴ファイルに綴じられるようになっているものだ。その前の25年ほどは、ずっと大学ノートを使っていた。今はこのノートを5冊単位で購入し、キャビネットにストックしておく。購入先はオフィスデポが多い。

ミシン目入りのノートを使うようになった理由は、単行本の仕事が増えてきたから。何回かに分けて取材をした時、大学ノートだとあっちこっちに記録が分散してしまうが、切り離して綴じられるノートならテーマごとにファイルしておける。それならルーズリーフを使えばよさそうなものだが、どうもあれは学生時代のお勉強を思い出していけない。心のどこかに、いまだに「お勉強」に対する抵抗感があるのだろう。それに、スパイラルノートなら切り離さない限りノートとしてまとまっているが、ルーズリーフは綴じなければただの紙。無精していると散逸してしまうのだ。

筆記用具は、シャープペンシル。最近は1.3mmのマークシート用極太シャープだ。芯はB。大学ノートだと広げて書かなければならないが、スパイラルノートは常に1ページ分の面積しか必要としないので取り回しがしやすい。ときどき録音機のレベルゲージを確認しながら、なるべく相手の顔から視線を離さないようにしてメモを書いていく。筆圧が低くても書けるので、悪条件下でのメモでも問題がない。

不思議なのは、取材ノートを清書してはいけないということ。取材時のままの状態なら、何年後に見ても書いていないことまですんなり思い出せるのだが、清書してしまうとそれができなくなる。文字としての記録だけではない何かが、取材ノートには記されているのだ。俗に「行間を読む」というが、取材ノートの行間にも見えない情報がぎっしり詰まっているのかもしれない。

ぼくは捨て魔を自認しているが、取材ノートだけは捨てない。おかげで平凡社に入社した時から現在までのノートが大量にある。どれも懐かしい思い出に彩られたものばかりで、大切な財産である。師の嵐山光三郎が『昭和出版残侠伝』を書いたとき、ぼくのノートを貸し出したがかなり役に立ったそうだ。新入社員だったから、兄弟子たちよりもマメにいろいろなことを記録していたからだろう。

そしてその日記を書いてから16年後の2024年現在、上に書いた道具はすべて入れ替わっている。録音機はローランドからオリンパスを何台か経て、今はオリンパスDM-750をはじめとする合計3台の体制になっている。すべてICレコーダーで、うち2台は高音質のPCM録音ができる。

相変わらずのオーバースペック録音で取材しているのだが、取材を終えてからの工程が変わった。昔はデクテーションソフトで少しずつ再生しながら手で文字起こしをしていたのだが、今はAI文字起こしを使っている。もちろん完全ではないので、できたテキストを音声を再生しながら添削するという形だ。それでも全部人力で文字起こしするより、格段に能率が上がっている。

ノートは同じコクヨ製品だがダウンサイズした。「ノ-211AN」というB6サイズのノートを何年か前から使うようになっている。切り離すことはできないが、小型なのでどこにでも持って行けるのが利点だ。

筆記具は、ボールペンになった。飽きっぽいので何年かごとにシステムを入れ替えているが、今のハイテックCコレトはもう10年くらい使っていると思う。これは好きな軸を選んで、替え芯を入れて使うもので、2色、3色、4色の軸がある。2色はブルーブラックと赤、3色はそれに緑、4色は予備のブルーブラックをもう1本入れて使っている。

2008年と2024年で明らかに変わったのは、編集ライターの仕事がコンピュータの力でかなりサポートされるようになったことだろう。以前は携帯電話でスキャンした手書き文書を即座に活字にするなど、夢物語だった。同じようなことはパソコンや周辺機器を駆使すればできたかもしれないが、お手軽ではなかったはずだ。

2008年当時にはなかった取材風景としては、リモート取材があるだろう。Zoomなどでのインタビューは、取材を承諾してもらうハードルをかなり下げた。そして次の段階は、インタビューしてすぐに自動的に原稿が出来てくるに違いない。しかも、口頭でリクエストするだけで、何度でもテイストの違う文章が出てくるはずだ。小見出しやリード文、タイトルの候補もAIが考えてくれるだろう。

そういう時代の雑誌は、どういう形になっているだろうか。紙に印刷されたものではないかもしれない。だが、雑誌屋としては今の雑誌のようなものがあと何十年かは残るのではないかと願っている。


昔使っていたメモ用ノートと今のもの

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