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雑誌を作っていたころ033

Macで作ったもの

 Macを使うのに慣れてくると、いろいろなものを作りたくなった。最初に手がけたのは「地図」。雑誌の記事に登場するお店などの小さな地図をイラストレーターで作るのだ。マシンに搭載している書体が中ゴシックと細明朝しかなかったから、複雑な文字組みができないという事情もあった。

「地図、作ろうか?」と社内で注文を取ったら、山のような発注が来て閉口したものだ。内製だから〆切はぎりぎりまで延ばせる。しかも、いくら直しても請求ゼロ。他誌の校了日に徹夜する羽目になった。

 それからはエスカレートの一途となった。モリサワの書体をひととおり揃え、汚いダイナフォントにも手を出し、著作権フリーの写真を大量に購入した。いろいろな技法書も買いあさり、読んでは試してみた。新しくつきあい始めたデザイン事務所が出力センターの仕事もしていたため、版下出力はそこに頼むことにした。

 おかげで青人社の名刺、はがき印刷は完全に内製になった。学研の生産管理から
「最近、小口印刷の仕事がこないけど、よそに頼んでいるの?」
 と聞かれ、胸を張って「すべてMacで内製しています」と答えたりした。最先端のことをやっているという自負で、毎日が充実していた。

 そんなある日、凸版印刷の早部さんから、こんなことを言われた。
「せっかくMacを使っているのに、版下出力止まりじゃ宝の持ち腐れじゃないですか」
 まったくその通りと反省し、雑誌に掲載する自社広告をMacで作ることにした。

 最初は自信がなかったので、いきなりデータ入稿するのではなく、いったん出力センターで製版フイルムを出力し、凸版にはフイルムで入稿することにした。出力センターにMOを持っていき、できあがったフイルムをルーペで隅々まで検版。まるで印刷所の製版担当者みたいだと笑われた。

 毛抜き合わせの精度が悪く、0.1ミリくらいの隙間が空いているのを発見し、自分のふがいなさにはらわたが煮えくりかえる思いをしたこともあった。校了時に訂正するというのは、それと同様にフイルムを無駄にすることだと知り、完全原稿の重要性を再認識したものだ。

 やがてフイルム入稿からMO入稿へ、1色原稿から4色原稿へとスキルが上がり、DTPへの自信が深まっていく。雑誌や書籍がオールDTPになるのは時間の問題だと予感した。しかし、早部さんは浮かない顔をしていた。
「山崎さんに協力していると、うちの仕事がどんどん減ってしまうんですよ」

 なるほど、雑誌がオールDTPになってしまえば、印刷所はただ刷版を作り、印刷するだけの存在になってしまう。ドル箱の製版業務がなくなれば、印刷会社の売上げは激減だ。システムが変わるということは、経済的な悲喜劇を生むのだと痛感した。

 ぼくがいろいろなものを内製していると聞いて、出入りの写植屋さんたちがよく見学に来た。彼らにとってDTPは親の仇のようなものだが、敵を知らなければ対処はできない。説明を繰り返しているうちに、写植屋さんに2タイプがあることがわかった。

 ひとつは旧態依然の頑迷なタイプ。サイバードなどに多額の投資をしていて、気分的に後に引けないため、黎明期のDTPの弱点を探そうと鵜の目鷹の目であら探しをする。
「書体が少ないねえ」
「写研が使えないんじゃ話になりませんな」
「縦組みの字詰めが汚いですよ」
 などと、文句ばかり言って帰っていく。

 もうひとつは、頭の柔軟な人々。
「これ一式でいくらですか。ほお、それは安い。テスト用に何を買えばいいのか、リストを作ってくれますか」
 と、はなはだ実務的だ。電算写植機に比べればMacはただみたいに安いし、写研の文字盤に比べればモリサワのポストスクリプト書体は激安。一式入れて若い人に習熟させておこうと考えたのだろう。そういう会社は今もDTP屋さんとして立派に生き残っている。

 どちらでもない写植屋さんで、ひとつ気の毒な例があった。社長さんみずから見学に来たのだが、DTPの可能性を理解してガクガクブルブル。「昨晩は一睡もできませんでした」と電話をしてきた。その会社は2、3人の少人数で、資金的にもゆとりがなかった。「ぼくでも使えるのだから、社長さんならすぐに覚えられますよ。安いのを入れてみませんか」とすすめたのだが、「いやあ、もう頭が固くて…」と否定的。あの会社、どうなったかなあと心配していたら、数年後に社長さんは首を吊った。

 DTPの勉強をしているとき、ひょんなことから「オンデマンドプリント」という言葉を聞き、それに興味を持つようになった。
 イスラエル製のEプリントやザイコンといった、カラーコピーの延長線上にある印刷機が続々と上陸してきたのだ。それらを使えば、「一部からの印刷物」が作れるようになる。それからは大倉商事、トッパンムーアなど、オンデマンドプリンターに関連する会社へ見学に行くようになった。

 思えばいま、いろいろな本をオンデマンドで制作しているというのは、そのころからの縁なのかもしれない。

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