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雑誌を作っていたころ025


「ふるさとの民芸」カバー

テーマを巡って紛糾


「茶の湯紀行」の次の号は、テーマを巡って紛糾した。
ぼくは「四季の俳画」か「奥の細道」をテーマにしたいと思っていたが、社長は「城下町の民芸」をごり押ししてきた。

社長の馬場一郎という人は、とにかく言いだしたら聞かないワンマンタイプ。ぼくが気遣ってかつての「別冊太陽」方式の編集手法を実施したことで、いろいろな思いに火をつけてしまったようだ。

学研販売局は「民芸はマイナーで売れない。まして城下町など演歌の世界だ」と一顧だにしない。ぼくは間に挟まって、身動きが取れなくなってしまった。

ぼくが学研に足を運んで決めてきた譲歩案を、社長が蹴飛ばしてしまうのだから仕方がない。ついに堪忍袋の緒が切れて、社長に「ご自分で交渉するか、一任するか、どちらかにしてください」と書き置きを残し、自宅にこもった。編集スタッフにも連絡するまで出てこなくていいと言い渡した。

すると翌日、会社の人間から電話があった。社長が昼からビールを飲んで酔っぱらっているという。仕方がないので様子を見に行った。ぼくが席についても、社長は顔を合わせようとしない。頑固なくせに、シャイなのだ。こりゃどうにもならんと、立ち上がったとたんに「山崎君!」と大声で呼ばれた。

「何でしょうか」と、わざと慇懃に応対すると、彼は困ったような顔をして「城下町を外したら、民芸で行けるか」と聞いてくる。
「わかりませんが、たぶん」
「では、それで頼む」

こうして障害は取り除かれ、第5号「ふるさとの民芸」は取材開始となった。揉めている間に10日の時が過ぎ、取材時間は残り少なくなっていた。

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