雑誌を作っていたころ049
起業準備
自分の会社といっても、ぼくには起業の経験はない。あるのは「起業塾」を作ってきた上で溜まった知識だけ。とにかく人脈を使って、なるべく投資をしないでスタートしようと考えた。ぼくには大した貯蓄がなかったし、出版関係の仕事をすれば、運転資金がいくらあっても足りないことは熟知していたからだ。
早速、平凡社時代の同期で、青人社でも監査役を依頼していた公認会計士の小坂くんに相談を持ちかけた。彼は青人社の経営について何度となく相談していたので、状況は完全に把握している。苦境に立ったとき、説明をしなくてもわかってもらえる人がいるのはとても心強いことだ。
「何人くらい連れて行くの?」
「社員としては自分ひとりでやりたい。来る者は拒まずだが、経営が安定するまでは人を雇う余裕はないと思う」
「それは賢明だね。で、法人格は?」
「そこがポイントなんだけど、官庁や大手企業の仕事を受けることを考えると、法人格は絶対に必要だと思う。有限でいいと思うけど」
「人が作った会社で良ければ、ひとつあるよ。僕が預かっている会社だから、変な債務がないことは保証できる。それを使って登記を変更すれば、資本金を用意しなくても済む」
「なるほど、それは助かる」
会社を作るには資本金を用意しなければならない。有限会社の最低資本金は300万円だが、既存の会社を譲ってもらい、登記変更をすればそれが不要になる。開業資金をできるだけ低くしたいぼくにとっては、まさに渡りに船の話だった。
次にオフィスを用意しなければならない。自宅には余分な部屋はないし、就業時間が不規則な出版業では、家人に迷惑がかかる。当面は自分ひとりだから、自宅に近くにアパートでも借りようかと物件を探し始めた。
すると、ぼくが辞める気配を察知したのか、廃刊になった「ドリブ」のスタッフから連絡があった。編集長の大浦くんが代表だ。
「山崎さん、新会社を作るのならついていきますよ。俺とカマタクは確実です。あとで成田と武内も合流できます。それから慶も」
新会社で何をするかは決めていなかったのだが、この話で一気に具体化した。それだけスタッフがいれば、雑誌が作れる。編集プロダクションとして雑誌を1冊まるごと請け負う仕事をすれば、収入も安定するだろう。
となると、アパートやマンションでは手狭だ。5、6人が仕事をできるようなオフィスを借りなくてはならない。すぐさま不動産屋に手配して、中央線沿線で四谷からお茶の水までの間の物件を紹介してもらうことにした。
なぜそのエリアなのかというと、講談社は護国寺、小学館は神保町、その他の出版社はその間に集中している。中央線の四谷からお茶の水の間だったら、どこに行くにも便利だと思われたからだ。
ほどなく紹介のFAXが20枚ほど届いた。最初の物件は市ヶ谷駅。住所は九段南だ。1階と地下という変則的なフロアだが、まずこれから見てみようと思った。かつて平凡社があった場所の近所であるということが、妙に親近感を持たせてくれたからだ。
下見にはひとりで行った。不動産屋のおばちゃん営業マンが案内してくれる。横山ビルという小さな軽量鉄骨造り3階建てのビルの前に、小太りのおっさんがいた。大家さんだった。
すると、背後から「あれっ? 山崎さんじゃないの」と声がかかった。不動産屋のおばちゃんが「こんにちは」と挨拶する。振り返ると、知った顔があった。
創刊以来長きにわたって「ドリブ」のデザインを担当してくれた川口さんだった。独立して事務所を構えたのは知っていたが、この近所だったのだ。しかも不動産屋が同じ。これは奇遇だ。
大家さんに部屋を案内してもらう。リフォーム済みで、広くはないものの居心地の良さそうなフロアだった。天井が高いのがいい。地下室に降りてみる。図面で見たよりも広く感じる。ここは1階よりさらに天井が高い。地下室ならではの圧迫感が微塵もなく、これならタコ部屋にしてもノイローゼ患者を出す気づかいはないと思われた。
聞けば大家さんはこの裏に住む大工さんで、今は引退して工務店を経営しているのだという。このフロアは貿易業を営む息子さんのために作ったものだった。地下室は倉庫代わりだったのだ。
大家さんからはぼくの経歴をかなり詳細に質問された。ご近所に迷惑になるような店子は入れたくないのだそうだ。すでに何件も断ってきたと言っていた。配送のトラックが来るような仕事の人は困るのだと。ぼくが出版業をやるつもりだと言うと、安心したようだった。
翌日から他の物件を見に行く予定だったが、その晩から大家さんの電話攻勢が始まった。
「あんたを気に入った。他の人にはもう見せないから、早く決めてくれ」
そんなことを言われても、まだスタッフに見せてない。
あわてて大浦くんを伴い、再度見に行く。大浦くんは地下室をひと目で気に入り、
「ここにしましょう。ここならいい仕事ができますよ」
と言った。これで決まった。
それから大浦くんと2人で、小坂会計士のところに報告に行った。譲ってもらう会社の件も進めなければならない。定款なども決めておく必要があった。
「オフィスが決まったの。それはおめでとう。ところで社名はどうする?」
「実は青人社を作るときにぼくらで考えた『悠々社』という社名があるんだけど」
「山崎さん、何ですかそれは。初めて聞きましたが」
「それはね、かくかくしかじか」
「そんな名前があるなら、それにするっきゃないじゃないですか」
「僕もそれがいいと思うよ。重厚感があって、最近流行のカタカナ社名よりいいじゃない」
こうして社名も決まった。あとは什器備品をそろえて、仕事を始めるばかりとなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?