見出し画像

雑誌を作っていたころ007

出版界の異端児

「別冊太陽」は、出版界にあって異端の存在だった。
今では「ムック」という雑誌と書籍の中間的な存在は当たり前になっているが、最初のムックが「別冊太陽」だった。

通常の雑誌では、「別冊」というのは通常号の補完的存在として発行され、雑誌コードは本誌に準じてつけられる。
そして発刊の条件も決まっていて、月刊誌なら月に1回以内、季刊誌なら年4回以内。
つまり、本誌の発行数を上回る別冊は出せないのだ。「臨時増刊」という名称も世の中にはあるが、実態は別冊である。

しかし「別冊太陽」は、月刊「太陽」とは別の雑誌コード。すなわち出版流通上は別の雑誌ということになる。
おまけに雑誌としては極めて異例なことに、普通の書籍と同様に増刷をした。それも一度や二度ではなく、創刊号の「百人一首」などは三十数回の増刷、改版をしている。その結果、累計部数は百万部を超えた。

今ではこのスタイルの雑誌にはムックコードという独自のコードがつけられているから、流通で混乱することはない。しかし当時は取次、書店を巻き込んで、大騒ぎになった。
創刊編集長の馬場一郎氏が出版営業の実力者でなかったら、とても実現しなかっただろう。

なぜ騒動になるのかというと、出版界の問屋である取次店(日販、トーハンなど)は、どこも雑誌部門と書籍部門に分かれていて、流通も別。雑誌は新刊書しか存在しないのに対して、書籍は増刷再搬入の商品があるからだ。ところが雑誌ルートを流れる「別冊太陽」が「増刷をする」というので、雑誌部門がパニックになったわけだ。たった1誌のために、流通システムを改変する必要が生じたのである。

普通の雑誌は、発行部数の35〜50%に卸価格を乗じた金額が適正原価といわれる。
広告収入が大きく見込める雑誌はその限りではないが、そのくらいに原価を抑えておかないと、返品がたくさんあったときに赤字になるからだ。

しかし増刷前提の雑誌は、もっと原価率が高くてもいい。そのため「別冊太陽」はカラー96ページ、モノクロ96ページに折り込み付録1点、貼り込み付録1点、綴じ込み付録1点という豪華仕様にすることができた。

付録というのは、和紙風の印刷用紙に原寸大で印刷された、さまざまな「お宝」である。国宝、重文クラスの紙に描かれた古美術を大判カメラで複写したものだ。ていねいに剥がして軸装、額装すれば、床の間のコレクションになる。これもまた人気を呼んだ。

ぼくが配属されてすぐ、編集長が説明してくれた「別冊太陽」の特徴は以上のようなものだった。
「たった3人で、太陽本誌を上回る利益を稼いでいるんだぞ。お前も真剣にやれよ」
編集長はそう言ってくれたが、翌日にはもうお説教が待っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?