「ビートルズなんて、もうウンザリだ」⑭ジョージ・ハリソンを偲ぶ
2001年11月29日、ジョージ・ハリスンが癌のために58歳という若さでこの世を去り、もう21年も経ちました。
ジョージは、ザ・ビートルズのメンバーとしては一番年下でした。
ポールとは8か月しか離れていないのに弟扱いをされ、3年違いのジョンからはまるで子供あつかいされていた節があります。
大天才のジョンとポールがバンドの中心であったことは仕方のないことですが、バンド内で彼は徐々に存在感を増していきました。
そして、アルバム「Revover」では、「Taxman」でオープニング曲を飾りました。
それからも、以下のような存在感のある曲を繰り出します。
「Within You Without You」
「While My Guitar Gently Weeps」
「Something」
「Here Comes the Sun」
「Something」にいたっては、ザ・ビートルズの代表曲のひとつと言って差し支えないでしょう。
この曲ではギターソロも素晴らしくて彼のスタイルを確立しましたね。
そして、解散後メンバー初のナンバーワンを獲得し、ソロ名義として最も多い3曲のナンバーワンソングを保持しているのが、実はジョージ・ハリスンなのです。
まさに遅咲きの天才。
ジョンとポールが規格外すぎるだけで、ジョージだって十分天才だと思うのです。
私にとっては、ジョージの代表作「All Things Must Pass」は、フェイバリットアルバムのひとつです。
ジョージの人柄についてですが、いろいろなエピソードから、ちょっと気難しい感じとか皮肉屋であるイメージがあります。
その反面、エリック・クラプトンはじめ、ミュージシャン同士の付き合いは多く、素晴らしい人柄だという話もよく耳にします。
ジョンやポールよりもたくさん友達を作ったイメージがあります。
ザ・ビートルズのメンバーとは解散後どうだったんでしょうね。
バンドの末期はひどいことになっていましたが、
はたから見るよりひどい関係ではなかったかもしれませんし、思ったよりひどい関係だったかもしれません。
でも、兄弟のように離れようとしても離れられない関係のように思えます。
勝手な想像ですがね。
様々なエピソードから想像するに、ジョージはやポールに対してわだかまりを持っていたように見受けられます。
ポールが作曲のパートナーとして誘った際は断りを入れてますし。
でも、最近知ったエピソードで、やはり深いつながりがあったのだと知りました。
ジョージに最期の時を静かに過ごしてもらうために、ポールは自分のロスアンゼルスの別荘を貸したいと申し出て、ジョージはそれを受け入れました。
そしてジョージはその場所で息を引き取ったのです。