俺が死ぬ日
その日俺は
高知の久礼
他にお客さんのいない露天風呂に浸かり
空を見上げていた
寒くもなく暑くもない
高く円を描いて飛んでいるトンビは
半分の軌道が屋内風呂の屋根に隠れて
飛び去ってしまったのかな
と不安になる頃に
半円分また姿を見せる
このまま死んだら最後に見る景色は
この素敵な暮れていく空なんだな
と思った
俺が死ぬのはどんな日だろうか
というより
どんな日が良いかなあと考えてみた
そして
俺の網膜は最後に
どんな景色を見るのだろう
病気で死ぬのなら病院か
在宅なら自宅の天井だろう
つまらなそうだな
街で倒れたら
地面を向いて死ぬのもいい
蟻の行列なんて見られたら素敵だが
意識がある間は
俺にはたかるのは待って欲しい
仰向けになって少し
空を見る余裕はあるだろうか
クルマの事故なら
何の曲が流れてるだろう
好きな曲に切り替える力が
残ってたらいいな
そもそも
カーステレオが無事でなきゃいけない
(ヒトが死ぬような事故で
カーステレオだけ無事なことなど
あるんだろうか?)
水の事故なら昼間がいい
水面の明るさが愛おしいだろう
沈んで水面が遠くなる中
エラ呼吸して平気な魚に嫉妬したりして…
(そんな透明度の高い水で
俺はなぜ溺れ死んでるのだ?)
ふとしたことでひとは死んでしまうし
望んだ通りに
望んだタイミングではきっと
死ねないことの方が多いんだろう
お湯から身体を少し出し
こんな日に死にたくない
という日に死にたくないな
と思った
その日俺はそもそも
なんでこんな日に死にたくないんだろう
明日素敵なことがある日なのだろうか
せめて明日が終わるまで待ってくれ
という
こんな日に死にたくない
なら理解できるな
その日嫌なことしかなくて
明日何かしら
取り戻すようなラッキーをもらって
死にたいのだろうか
それも
こんな日に死にたくない
と思うだろう
わかるぞ
などと何にもならないことを
熱心に考えているうちに
海の色が深く濃ゆくなっている
トンビが姿を見せなくなったので
露天風呂のお湯の中に立ち上がった
さっきより風が冷えているあからんだ
光度の落ちた空を見渡したが
トンビはもういなかった
俺は
この後のお料理と酒が楽しみだから
いまは死ぬわけにはいかんのだ
などと思いながら
露天風呂を出て脱衣所へ向かったのだった
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