「ま」と「あわい」
7世紀の初め、聖徳太子が「和を以て貴しと為す」という国の規範を掲げて以来、シナに「ゆだね従っていた」倭国は、シナと「対等に存立し調和する」和国となりました。
「和」という文字の禾(のぎ編)は軍門に立てる標識を、口は誓いの文書を入れる箱を表し、敵対するもの同士が和議を結ぶということを意味します。
「なごむ」「やわらぐ」「あえる」と読む「和」の字には、互いに対立するものや相容れないもの同士を和解させ、調和させる力が秘められています。
この言葉は縄文以来1万年以上保ち続けてきた、列島上に暮らす人々の根源的な意識を表すマントラであり、その後の国の在るべき姿を端的に示すキャッチコピーともなりました。
「和」の文化は、対立する物事の間に適度な「ま」を取ることで成り立ちます。
「ま」の取り方が適切でなければ「間違い」となり、「和」が果たせません。
「ま」を適切に読めず適度につくれない人は「間抜け」と評価されます。
「ま」をうまく使えれば「間がいい」人とされ、諸事に「間に合う」ことができます。
「和」の社会のインフラストラクチャーは、モノやコトではなくそれらをつなぐ「ま」にあるのです。
人々の関係性だけでなく、人々の暮らす空間においても「ま」の取り方が重要です。
日本の伝統的家屋には壁という固定的な仕切りがなく、障子や襖、引き戸を開けたり閉めたりすることで、広さを変化させられる自由な空間からなっています。
「うち」と「そと」のあいだには土間や縁側、玄関といった「ま」を造り、排他的な境界線がありません。
坪庭や中庭、裏庭などは「内なる外」であり「外なる内」でもある「ま」です。
床の間に掛ける掛け軸や、神棚、仏壇などは、この世とあの世をつなぐ「ま」であると言えます。
日本建築はこのようにさまざまな「ま」づくりで成り立っているのです。
絵画や音楽、文芸などの芸術文化においても、「ま」が重視されます。
西洋絵画は画布上のスミからスミまでことごとく絵の具で埋め尽くしますが、日本画はイキイキとした余白を残すことで「ま」の「美」を描きます。
西洋音楽は音符を並べることで曲を作り、休符にも一貫したリズム構造の維持や次の音に対する期待感を高めるなどの役割がありますが、日本の音曲においては音と音の「ま」の「静寂」そのものが意味をもちます。
文芸でも連句や俳句など「ま」を奏で味わう伝統が、日本語文化には脈々と受け継がれています。
「ま」を生み出すことに「手間」をかけることこそが、「和」の芸術であり和文化なのです。
「間」という漢字は訓読みで「ま」とも読みますが、「あいだ」とも「あわい」とも読むことができます。
「ま」や「あいだ」はモノやコト、ヒトやトキなどに挟まれた「すきま」という意味ですが、「あわい」と読むと、モノやコト、ヒトやトキなどが「交わるところ」という意味にとれます。
和文化の伝統において重要視されている「間」は、「ま」というよりむしろこの「あわい」という意味合いにおいてではないでしょうか。
「あわい」は古くは「あはひ」と書かれ、『源氏物語』には、
「いとよきあはひなればかたみにぞ思ひかはすらむ (とても良い仲なので、互いに思い合っていることだろう)」
というように「仲」「間柄」という意味や、
「濃き衣に紅梅の織物など、あはひをかしく着替へて居給へり (濃い紫の単衣の上に紅梅襲の織物など、つりあいも面白く着替えて座っていらっしゃる)」
というように「つりあい」「色の調和」という意味で使われています。
能の舞台に面(おもて)をつけて登場するシテが、舞台で華やかに舞い躍る主役とすれば、ワキは面もつけずほとんどのあいだ舞台上でじっと座している正に脇役ですが、異界の存在であるシテと現実世界とをつなぐ「あわい」としての役割をもっています。
ワキは「あわい」の力によって、カミの世界とヒトの世界をひとつにつなげる媒介なのです。
ワキが「あわい」の力を表すための道具は、ワキ方自身の身体そのものです。
人間は身体という媒介を通して、外部環境や他者という外の世界とつながっています。
身体は自分自身にとってのワキであり、わたしたちは身体感覚をもつことにより、初めて外の世界を感じることができます。
その意味で、すべての人は「あわい」を生きているということになります。
わたしたち日本人は、モノやコト、ヒトビトの「すきま」であると同時に世界や他者と出会い交わる「場」でもある、「あわい」に生きています。
「あわい」は互いに対立するものや相容れないもの同士を和解させ、調和させる「和」を作る場となります。
それは長い歴史の中で、巨大なシナ文明やヨーロッパ文明を受容し、自家薬籠中の薬として選択・変容させてきた日本人だからこそ、身につけられた能力なのかもしれません。
この「和の力」こそが、今世紀進行しているグローバリズムの世界においては、あらゆる民族・文化、そして一人ひとりが必要としているものなのではないでしょうか。
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