健康と健全
整体は、カラダを整える技術です。
整体セラピスト山﨑陽軒は、長年カラダの仕組みを研究し、どうしたらうまく働くようになるか?を考えてきました。
目的は、「健康」にすること、です。
ところが、この「健康」という言葉を考えると、ダブルスタンダードな使われ方をしていることに気付きます。
一つは、近代医学的な視点から見た「健康」で、近代医学が専門とする「疾患」「疾病」に対立するものとして考えられています。
もう一つは、「病気」も含めたヒトの心身の状態全般を表す言葉としての「健康」で、中医学やアーユルヴェーダなどの伝統医療、代替医療、統合医療などの界隈では、こちらの見方をしています。
そして不思議なことには、近代医学の総本山とも言うべき、世界保健機関WHOでは、健康について後者の立場をとっているのです。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」
このお馴染みのWHOの健康の定義は、近代医学が古代ギリシャの医聖ヒポクラテスの医学を元祖としていることから導き出されたものですが、ヒポクラテスはギリシャ・ローマ医学だけでなくユナニ医学などイスラム伝統医学の祖でもあるため、近代科学から派生した医学の枠には収まりきれず、こうしたダブルスタンダードが生まれたのだと考えられます。
WHOはさらに、1998年の執行理事会でこの定義の改定を提案しています。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、霊的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた動的状態にあることをいいます。」
人間まるごとの健康について端的に表現した、素晴らしい定義です。
今のところはまだ総会での採択には至ってはいませんが、この提案はWHOの示す健康観が、完全に伝統医学の考え方の上に乗っていることを示しています。
しかし私たちはWHOによる健康の定義を知識としては知っていても、日常の生活上で「健康」という時、この定義に沿った意味で使う事はまず無いと思います。
ほとんどの人は、カラダの調子が特に悪くないならば、即ち自分は「健康」だと思うのではないでしょうか?
冒頭で、整体の目的は「健康」にすることだと書きましたが、それはWHOや伝統医学でいうところの「健康」であって、この日常生活上の「健康」とは違います。
クライアントさんは当然ながら、日常生活上の「健康」を「健康」と思って来院しているので、話しのなかで齟齬が生じてしまいます。
そこで、観音整躰セラピスト山﨑陽軒としては、整体が目指すところの健康状態を「健全」という言葉に置き換えて使うことにしました。
「健全」とは、より広い意味での「健康」です。
身体的健康と精神的健康、そして、自然環境や社会環境の中での良好なあり方を全て含んでいます。
次回からは、この「健全」の構成要素について、一つ一つ掘り下げていきたいと思います。