休養 クアオルト
前回ドイツの保養施設でクナイプ神父の水療法が一般的に行われていることを紹介しましたが、今回は自然療法先進国であるドイツの幅広い保養文化について書こうと思います。
元々ドイツにはバーデンバーデンをはじめとして、古代ローマ時代から連綿と続く湯治文化が根付いており、ドイツ文学を代表する作家であるゲーテ(1749-1832)は、各地に点在する湯治場を頻繁に訪れながら執筆活動を行っていたといいます。
また19世紀半ばには明治政府によって、日本近代医学の父となるベルツ博士らの招聘を要請されるなど、ドイツは世界に冠たる医療先進国でもありました。
1821年自然の景観保全を提唱するグスタフ・フォアヘア(1778-1847)は、国土美化特別委員会を設置し、都市から農村・山林に至る景観の連続性に配慮した、田園都市運動、自然保護運動、郷土保全運動等の先駆けとなりました。
1883年ビスマルク首相は、世界初となる国家的な疾病保険法を成立させました。
1886年にはセバスティアン・クナイプ神父が水療法について著した『私の水治療』が出版され、ベストセラーとなりました。
1892年には湯治専門医やリゾート地の経営者たちが集まり、「ドイツ治療湯治場連盟」を発足、ここに近代的医療保険適用保養施設としての「クアオルト」が誕生しました。
クアオルトKurortはKur(治療、療養、保養のための滞在)+Ort(場所、地域)という二つの言葉を組み合わせて作られ、「療養地/健康保養地」という意味を持ちます。
ドイツ温泉協会は、クアオルトを「地下物質(温泉、鉱泉、泥、ガス等)、海、気候などの自然条件が病気の治療・予防に適することが、科学的・経験的に実証されている場所」と定義し、土に由来する温泉・泥・蒸気などの他にも、海、気候、クナイプ式と計4つの療養タイプに分けて設定しています。
2007年現在ドイツ国内では436称号374箇所のクアオルトが認定されており、温泉が157箇所、泥・蒸気が56箇所、海91箇所、気候68箇所、そしてクナイプ式が68箇所となっています。
年間約3000万人の療養客が最大3週間、平均して1週間弱滞在していますが、これは奇しくも日本の伝統的湯治場治療が1週間(一廻り)の滞在を基本とし、三廻りを理想的治療期間としていることと合致しています。
それぞれのクアオルトに必要な施設としては、専門医のいるクアミッテルハウス(療養処方施設)の他、30~40ha程度のクアパーク(保養公園)、レストランや図書館、コンサートホールなどを備えたクアハウス(保養交流施設)があります。
また温泉タイプのクアオルトならテルメ(温浴施設)があり、飲用可能な泉質の場合はトリンクハレ(飲泉所)も併設されます。
クナイプ式クアオルトでは、クナイプ神父のホリスティックな自然観を基調とし、水療法をはじめ、運動療法、植物療法、栄養療法、秩序療法と五つの柱を持つ総合的な自然療法が専門医の指導の下、施されています。
温泉・鉱泉・泥・蒸気タイプクアオルトでは、バルネオテラピー(入浴療法)が行われ、日本の湯治場のような温浴や飲泉、泥炭浴、ファンゴ泥浴などが見られます。
海洋タイプクアオルトでは、日中は海から吹くマリンエアロゾル(海塩粒子)に富んだ海風を受け、夜間は陸からの芳香性テルペン系物質(フィトンチッド)豊富な風を受ける海洋性気候の中で、自律神経のリズムを整えやすくするタラソテラピー(海洋療法)効果を体験できます。
気候タイプクアオルトでは、森林や平原、山岳地など、その地域特有の気候や地形を活用し、さまざまな負荷レベルに設定された遊歩道を専門ガイドとともに歩くクリマテラピー(気候療法)を楽しめます。
このようにドイツでは、海や山、河川、森林、温泉など多様な自然資本Natural Capitalを保全しながら、そこから生み出されるフローを有効活用することで、人々の保健、保養に役立てる計画を2世紀間に亘って持続的に進め発展させています。
他に変え難い自然という存在に唯一無二の価値を見出し、人間もまた大自然の一部であって、自然と健康は分かつことはできないのだという思想がその底流にはあります。
そしてこの貴重な共通財産を未来に残すため、積極的に施設の充実を図るとともに、法制面でも整備を進めています。
1975年に制定された連邦森林法では、森林所有者に対して再造林を義務付けました。
1976年制定の連邦自然保護法では、「国は来るべき世代の人々に対する責任を果たすためにも、自然的生活基盤を保護する」と規定しています。
日本でも、蔵王上山で温泉クアオルト事業が進められ、ミュンヘン大学認定の「気候性地形療法」ウオーキングコースが設定されるなど、一部にはドイツの自然療法の仕組みを取り入れる動きは見られるものの、残念なことに国民の健康観や自然観などの寄って立つ土台は、未だに中央集権的な近代産業社会そのままです。
しかしながら日本の国土が有する自然資本は、ドイツと比べても圧倒的なポテンシャルを秘めています。
日本の国土面積はドイツとほぼ同じですが、その67%を占めている森林はドイツ(32.7%)の2倍を超え、海岸線の長さは3万5600kmとドイツ(2389km)の約15倍にもなります。
温泉の源泉数はドイツの2000か所に対して2万7000か所もあり、そこに湧き出ている湯量も圧倒的に豊富です。
地熱や風力、潮力など、日本は主要先進国中自然エネルギー資源に最も恵まれていると言われており、ドイツの9倍もの自然エネルギー資源量を誇ります。
世界の環境先進国、健康先進国としての位置付けは、まさに日本のためにこそ用意されているものなのではないでしょうか。
まずは日本でも、ドイツ並みの3週間の休暇制度を企業や公務員に義務付け、3廻りの湯治文化を復活させるのは如何でしょう?
そして温泉場の近隣地域だけでも、地熱や風力、小規模水力などの自然エネルギーと、再生可能な地場農法による野菜中心の伝統的食文化を味わえるような、持続可能で等身大の社会が営まれるようになればいいと願います。