視野が広がり自分の限界をだんだんと知りはじめ…
やっぱり書きたくなったので投稿します。
中学受験、大学受験と志望校に合格することは叶わなかった私。
いくらやれば出来ると言ってもやっぱり人それぞれ限界はあるし、届かない場所ってあると思う。
私自身、平凡な家庭で生まれて、平凡に暮らしてきて、でもそんな私でも大物になってやりたいとか、もっとお金持ちになりたいとか、頭の中で考えていた時期はあったし、正直誰しも一度は上を目指し、夢見たことがあると思う。
もちろんそれはとても良いことだと思うし、それで成功する人だっているのは事実。
でも、そういう人ってメディアが取り上げるくらいには少数派で、多くの人たちには行きたくても行けない次元ってのが存在していると思う。
私が言いたいのは別に叶う叶わないとか上を目指したからどうのこうのじゃなくて、そういうことで辛くなったり、「(周りの優秀な、あるいは有名になった人と比べて)どうして自分は…」って、別に卑屈にならなくてもいいんじゃないかな、ということです。
私はそういう気持ちになったことがあるし、今でもたまに思うことはある。
でも、無理して辛い思いをしてまでどこかに上り詰めることが必ずしもいいわけじゃなくて、自分にとって居心地のいい場所にいることの方がよっぽど落ち着くと思う。
だってやっぱりそれぞれの分野で向き不向きはあるし、私が100努力しても辿り着かない場所に20の力で行けてしまう人だっているんだもの。
私はどちらかといえば日向の明るい場所では輝けないタイプだと自覚しているし、キャッキャはしゃぐタイプでもないけど、やっぱりたまに、キラキラしてる子たちに憧れることはあって。
ああなりたいな〜なんて思いつつも、でもやっぱり絵を描いたり本を読んだりのんびり散歩してるほうがなんだか落ち着くなってことに気づいて、やっぱり自分は自分なんだなって最近改めて思ったんです。
お金持ちになることや社会的地位を築くことより、自分らしく楽しみながら、頑張るときは自分の出来る範囲で精一杯頑張りながらこの世を生き抜けば、もうそれでいいんじゃないかなって。
裕福で好きなものをたくさん買えて高級品で身を纏う人を見て幸せになったって人は聞いたことがないけど、私たち大多数の無名な人たちの、人目に触れることのない努力とか、小さな働きかけが実は色んな人たちの心にリアルに響いたり、生きるヒントを生み出しているんじゃないかな。
だから周りについ流されて、ああならなきゃとか、こうしなきゃ、って、もし嫌々だったり苦しみながらも心の声に逆らっているのなら、自分を少しでも解放してあげると楽になるんじゃないと思ってます。
半分くらい自分に言い聞かせてるんですけどね。
ちなみに私は普通の人の飾らない本当の言葉が書かれている文を読むことのほうが、ちょっとドヤ顔で綺麗にまとめられている如何にも正しくて実行すれば叶いそうだけど実際には難しいような内容の文より好きです。
やっぱり心が宿っていて、上から目線じゃないその言葉にこそ私は温もりを感じちゃいます。
ではでは。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?