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これであってますか?と質問されたら?



1 場面

 演習の課題は、「整理した情報から、保健師の立場で取り組むべき課題と解決のための戦略について根拠をもって明らかにする」である。
学生は、①保健師が取り組むべき課題②根拠となる事実③予測される問題をワークシートにまとめる。そしてグループワークでは、「保健師が取り組むべき課題を、事前に地域の関係する情報を整理した結果を基に明確にし、説明する。また、その課題に対し、どのような戦略で課題解決を図るのか、自由な発想で考える。」ことが求められていた。
 
 グループワークで話し合い検討した学生から、次のような質問が教員に投げかけられた。
「保健師が取り組むべき課題をどのようにあげてよいかよくわかりません。‘高齢者が医療機関を利用しにくい環境である’を優先順位が高い課題として挙げたのですが、これでいいですか?」
 
 あなたがその場にいる教員だったらどのように返すでしょうか?

2 ディスカッション

A氏より
 実習指導で全く同じ場面に出くわした。その地域はいわゆるへき地といわれる地区だったが、学生が健康課題を「アクセスが悪い」という風に挙げてきた。その時私は、「それは住民の要望?学生が保健師として必要と思って判断したニーズ?」という問いかけをした。すると学生は戸惑ったような表情でだまってしまった。
B氏より
 私はこれに関しては、学生に考えさせるというよりも、はっきりと言う。「ポイントは保健師が取り組むべき課題だよね?」と再度確認する。例えば、「医療機関を利用しにくいからと言って医療機関を近くに建てるのはこの場合の保健師ができることじゃないよね?」とか、「交通の便が悪いというのも、バスを走らせることは簡単ではないよね、お金もかかるし」と。「高齢者が医療機関を利用しにくい環境はたしかに問題だけれど、そういう中でこの高齢者の人たちの生活や健康にどんな影響があると思う?そこを考えると保健師が問題にしないといけないことが出てくるかもしれないよね」と、その辺りまで結構言ってしまう。
C氏より
 私たちは学生に与える課題の形式を、「こういうことが問題だから、保健師としてこうする必要がある」というところまで書くよう指示している。このように指示すると、問題だけではなく解決の方向性も同時に考えることになるので、「高齢者が医療機関を利用しにくい環境である」だけで終わらず、自然とその先の方向性が定まる。
D氏より
 私はいつものことだが、このような質問を受けた時、「今までの学習で看護課題とは何であると学んできたか」と問い返す。病棟実習や学内の看護事例の演習などで学習してきたことが、地域看護学ではどのように応用できるかを考えさせる。学生自身で学んだ知識を応用して考えるのを待ち、気づいたものに対して、良ければ「良い」だけ言って、「他には?」という感じの展開にしている。もし「そうではなく、書き方を教えてほしいのだ」とさらに聞いてきた場合は、「なぜ形から入るのか」と返すことで、形式が重要なのではないことを伝えている。
 

3 議論をメタ認知の観点から読み解いてみる

課題解決とメタ認知:山口大学教育学部沖林洋平
 
メタ認知とは,認知に関する認知であるということを前回お話ししました。例えば,自分は今取り組んでいる課題の何を考えているのか,課題について自分はどの程度理解しているのか,というようなことを考えることです。
 
 メタ認知の研究が始まるのに少し先行して研究が活性化したテーマがあります。それは人工知能(artificial intelligence: 以下「AI」)です。AI研究は,人間が行っているのと同じような問題解決ができるコンピュータを開発するための研究です。現在でこそ,さまざまな問題解決でAIは人間の代替的なシステムとして活躍していますが,開発当初は簡単な問題解決もできませんでした。その障害となった大きな問題の一つが,フレーム問題です。フレーム問題とは,「今しようとしていることに関係のあることがらだけを選び出すことが、じつは非常に難しい」という問題です。
 
 お掃除ロボットを例に挙げましょう。家主がいない状態で家の中を掃除するようにプログラムされたロボットは,部屋のどこをどのように掃除するでしょうか。遠いところからするべきなのか,汚れているところからするべきなのか。部屋のカーペットは掃除できるものでしょうか。うっかり置いてしまったガラスコップにぶつかってしまわないでしょうか。
 
 人間であれば,雑然とした部屋を掃除する時にはなんとなく掃除したいところから始めて,なんとなく掃除ができたと思った時点で終了しますが,AIが開発された当初のロボットにはそれができませんでした。フレーム問題を実用できるレベルになるまでに解決できるようなプログラムは実は今でも開発できていません。
 
 少し前置きが長くなってしまいましたが,今回の課題はこのフレーム問題と同じであると考えることができます。学生が「高齢者が医療機関を利用しにくい環境である」を優先順位が高い課題として挙げたが、これでいいのか。,と問うているのに対して,教員は,それぞれの観点で学生が考えるべき視点を示しています。お掃除ロボットの例で言えば,どこから掃除するかの基準が異なるということです。我々が日常的に取り組む問題の解決法は一つではないものがほとんどです。このような問題構造を,認知心理学では不良定義問題といいます。フレーム問題は,AIは不良定義問題の解決ができないということを示しています。
 
 では,4名の教員はなぜ学生にディスカッションの観点を示すことができたのでしょうか。それは,教員がそれぞれ学生の問いを定義し,解決状態を想定したうえで,解決状態に向かううえで不可欠な視点を提示したからであると考えられます。この,問題を定義するということは,メタ認知におけるモニタリング機能の現れです。問題解決においては,問題をどのように定義するかということが問題解決に大きな影響を与える,ということを各教員が理解しているために,たった4名であっても同じ視点はないのだなということが筆者にとっては興味深いことでした。
 
 教員が提示した視点とメタ認知の関係を考えるうえで見逃すことができないのは,へき地における高齢者医療というリアルな問題を考えるように促すのか,既習事項であることの確認を促すのか,学生の問いを通して保健師としてのアイデンティティを問うように促すのか,当該授業の目的を振り返るように促すのか,教員によって提示する視点の質が異なるという点だけではありません。学生の問いを通して,医療のこと,既習事項のこと,学生の職業アイデンティティのこと,授業学習目標のことを考えるように促すという,思考の質自体が異なるという点です。それぞれの授業で,受講生はそれぞれ良い学びを経験すると考えられます。ただし,授業によって得た学びの経験は異なるだろうと予想されます。学び方の違いによって,学生の学びの経験がどのように言語化されるのかについて多くの方の関心を集めるのではないでしょうか。
 

4 振り返り・ひとこと

題材提供者より

 4人の教員の意見はいずれも、“公衆衛生看護”というスタンディングポイントを明確にすること、その上で看護の“思考”を促そうとしているのだと受け止めました。そしてすべての意見にその共通の軸があることに、ある意味感銘を受けました。
 とはいえ、アプローチ方法は様々で、自身の教育場面を振り返ると、学生のレディネスによって、アプローチ方法を少しずつ変えていることにも気づきました。つまり、B氏のような対応の場合もあれば、D氏のような対応の場合もあるな、などです。それは、沖林先生の述べられるところの“教員にとってのフレーム”なのかな?と考えました。つまり学生のレディネス(それは学年の違いだったり、同学年であっても学生個々の能力の違いだったりもする)に応じて「公衆衛生看護の思考」をどのように引き出すかの方法を選択する力が教員に問われるのかなと理解しました。
 事例の演習の際、私は、B氏に近い対応をしました。3年生の4月時点の学生は、地域看護学について概論と方法論を既習しているものの、地域看護過程において公衆衛生看護の立場から看護の課題を明確にするプロセスはほぼ初回でした。しかし、そのとき、最後まで十分納得していなさそうだった学生Aが、その後の別科目で同様の課題を課した際、しっかりと看護の立場に立った地域課題を提示してきた、というその後がありました。学生Aは、おそらく、その時十分納得できなかったからこそ、その後、別科目でも展開される看護過程を学びながら、“看護”というスタンディングポイントに立って課題を明らかにするとはどういうことかを考えようとしているんだな、と見受けました。その時の私の対応がてきせつだったか?特に影響はなかったのか?評価は難しいですが、4年生で履修する公衆衛生看護学実習でどのような思考をもつか、経過を追って行きたいと考えます。

世話人より

 4人の教員からのフィードバックには、学生に思考を展開させようとする二つの方向性があったように思います。
つまり
「高齢者が医療機関を利用しにくい環境である」を優先順位の高い課題としてあげたとき、
・そのことで高齢者の健康や生活に具体的にどのような影響が出ているのかを考える方向
・そのことに対し保健師はどのようにアプローチしていくのかを考える方向
これらは2つの方向のように見えるが、実際は一つの方向に展開します。
 というのは、保健師は高齢者の健康的な生活に責任を負う立場であるので、高齢者の心身の健康状態とその状態をもたらす生活の営み、家族や地域社会の中での暮らしの営みとの関係を具体的に考えることで、保健師が何をすべきかが見えてくるからです。
 そのなかでもD教員は、具体的な方向性を示すのではなく、学生がそれまでの臨床看護での学習経験をもとに、学生自身で考えることを重視していました。学生自身がそれまでの学習を振り返り、自分で考えることで獲得した学びは、自分なりの看護観に基づいて実践を考えようとする力として、深く根付いていくのではないかと考えます。


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