せっかくとわざわざ
では、どこで「せっかく」を担うのか。
『置かれた場所で咲きなさい』に習えば、
いまここの置かれているところからはじめることが王道だろう。
職を転々とし私が置かれている、いまここは「塾」である。
この塾で、「せっかく」をやる、やっている。
ふと思いついた。
「せっかく」というのには、前がある。
「ついつい」だ。
「ついつい」流されてやっていたことを、「せっかく」に変える。
「ついつい」を「せっかく」に変えるには、エネルギーがいる。
「わざわざ」だ。
まとめよう。
「ついつい」を「わざわざ」やることで、「せっかく」になる。
ここまで書いて、「わざわざ」と「せっかく」はほとんど同じな気がして、辞書を調べてみると、せっかくのページに「わざわざ」が、わざわざのページ「せっかく」が類語で記されている。
次は、この違いをせっかくだから、掘り下げてみたい。
次は、この違いをわざわざ、掘り下げる。
と二つ書いてみて、次を書こうと思ったら、これを書いた時点で、違いが見えてきた。
せっかくは他人(ひと)に向けていう言葉
わざわざは自分にかける言葉
なのかもしれない。
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