15,000日まで残り3日
4日前、30000日はフィクションであると書いた。
なぜ、30000日のフィクションにこだわっているか。
自分自身でもすべてを把握できていない。
ただ、恐怖が背後にあり、ドライバーになることは自覚している。
恐怖の源は「人生の区切り」の不足。
自分の力だけで、生まれ変わるなんてことはできない。
変化の契機になる「イニシエーション(通過儀礼)」がない恐怖。
卒業式、入園式、入学式、卒業式、学校は入り口と出口で儀礼がある。そして、新卒で就職をしたならば、入社式という儀式がある。それで終わりだ。
そこから先は、社会制度側から画一的に提供される区切りはなくなる。
見渡す地平線の先にある荒涼とした大地には旗は立っていない。
自分で人生の区切りを作っていく。どうやって?学校でも家庭でも教わっていない。これは、なんと厳しく、残酷なのだろうか。
転職、学び直し、自己研鑽など、いずれも能動性が求められる。淡々とやっていれば向こうから区切りがやってきた学校生活と違う。このギャップの大きさに恐怖を感じた。
誰か、私に「区切り」を贈ってください。
無理矢理でもいいから。
年に1度、同じタイミングにやってくる誕生日はルーティンすぎる。
そうだ、地球で生きる人生には「日」がある。太陽がのぼり、沈んだ回数。その回数、生きた日数を頼りに、寄る辺ない時代を生きるささやかな儀式にしよう。儀式に必要なフィクション、それが30,000日。
偶然かもしれないが、区切りを消失するタイミングであった社会人になった2007年(平成19年)、平均寿命の中央値(男性)が82.1歳≒30000日だった。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life10/02.html
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