『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること』起こりそう、起こってもおかしくない、起こりうる


本書は摑みどころがない。何が新しいか、面白いのかと問われたときに、答えに窮する漠然とした本だ。スペキュラティヴという言葉にヒントがあるだろうかと辞書を引けば、思索的、思弁的、投機的といった意味がある。しかし、どの言葉を当てはめてもしっくりとは来ない。しかし、それでも不思議と紹介したくなる魅力を持っている。スペキュラティヴ・デザインという聞き慣れない言葉の捉えられなさ自体がその魅力となっていると思う。

どうして、スペキュラティヴ・デザインは掴みどころがないかといえば、自らをわかりやすく定義し、定義されることを拒んでいるからだ。単一の価値観に異を唱え、自らも単一化したイメージとして理解されることを拒否する。厄介な問題に対する「ソリューション」ではなく、物事の可能性を思索するための手段として用いる。想像力を駆使して、新しい見方を切り開くことに重きをおいている。

そこで一つ疑問が湧く。スペキュラティヴ・デザインはアートや芸術と何が違うのだろうか。著者の言葉を借りれば、

冒険のないアイデアは、人々の心に残らないし、常識に疑問を投げかけることもない。あまりにも奇抜すぎると芸術で片付けられてしまうし、あまりにもふつうすぎると難なく受け入れられてしまう。

と、針の穴を通すようなニッチな領域に感じるが、芸術ではなく、デザインという範囲に留まることで、より大きな波紋を産みだすことが出来ると著者は考えている。つまり、デザインであれば、日常生活で目にするものにはいつも想像し得ない違う形があり得て、変わる可能性があることを示唆できる。

本書に掲載されている具体的な作品を二つ紹介する。一つ目はトーマス・ウェイツの作品である。日常にありふれたトースターを、自分の手でゼロから作った男だ。鉄の部品を作るため、鉱山まで鉄鉱石を拾いに行き、ジャガイモでプラスティックを作ろうとし、電子レンジで製鉄をするなど、悪戦苦闘の創作過程自体が彼の卒業制作であった。

プロジェクトの目的は、原始的な手法に立ち返り、トースターを作ることではない。トースターという日常にある製品を題材に扱うことで、パンを焼くという、無意識に行っている朝のルーティンが、いかに複雑で難しい物になってしまったかを暴きだすことにある。さらに私達がどれだけテクノロジーに依存し、テクノロジーや装置の背後にあるシステムやプロセスから離れたところにいるかを浮き彫りにした。

ふたつ目は、28歳にしてMITメディアラボの准教授に就任したスプツニ子、彼女を一躍有名にしたのが、「生理マシーン」である。


血液ディスペンサーを用いて、女性の平均月経量である80mlを5日間かけてタンクから流血し、 下腹部についた電極がリアルで鈍い生理痛を装着者に体感させる作品だ。映像作品「生理マシーン、タカシの場合」では、趣味が女装の「タカシ」という男子を登場させ、女装で飽きたらず、女性に近い感覚を味わおうと、生理マシーンを作り出すシーンを描いている。これも卒業政策であり、MoMAに展示された。

2人が卒業したのはRCA(英国王立美術大学)のデザイン・インスタラクションズ学科で、本書の著者であるダンとレイビーの元で作品制作に取り組んだ。ダンとレイビー自身も教育者だけではなく、スペキュラティヴ・デザインの実践者であり、多数の作品を発表している。


「Huggable Atomic Mushrooms:Priscilla(原子爆弾のきのこ雲型抱き枕)

2人はデザインそのものを批判的に思索し、常識から逸脱しようとしてきた。伝統的なデザイナーからは「わからない」だとか「役に立たない」と言われたこともあった。デザインの新しい流れの一つであるソーシャルデザインに対しては、商業的ではないが何かを解決することに向かっており、またデザイン思考は最終的に問題解決に着目している点で、スペキュラティヴ・デザインとは異なると位置づけている。

行動経済学の考え方である「ナッジ」のように、誰かが望むような選択を下してもらうように、人々の行動を変えることも前提にない。人々の自由意思の持ち主として、必ずしも理性的ではないが、自分のことは自分で決める力を持っていることを前提にしている。様々な分野と対峙しながら、スペキュラティヴ・デザインは他と何が違うのかを明らかにしていくのだが、それをまとめたのが、A/B宣言である。

カテゴリーAは、ふつうに理解されているところのデザインであり、肯定的かつわかりやすさを目指している。それに対してカテゴリーBは交じり合わないアイデア同士を結びつけ、見慣れたものを見知らぬものへと変えていく。Bが現状のデザインのあり方を否定し置き換えようという意図はなく、比較し議論を促す要素として考えられた。問題解決から問題提起へ、とシンプルな副題がついているが、これからは問いを発する時代だという、ビジネスの流行りにのっているわけではない。仮に問題提起に溢れた世界になれば、再び逸脱し、反骨を示し、違うアイデアを出すのだろう。できれば、このリストが、C,D,Eと続いていくのが理想だと著者は考えている。

まだ、ほんの一部しか本書のとらえどころのない面白さを紹介できていない。その中でも、最後に一番わかりやすく本書のことをわかりやすく表現した図を紹介したい。

「起こってもおなしくない」領域はシナリオ・プラニングがカバーする領域であり、スペキュラティヴ・デザインでは「起こりうる」未来をスコープに入れる。つねに可能性を追求し続けるスペキュラティヴ・デザインは、デザイナーだけではなく、人々が消費市民としてより積極的に「望ましい」未来をつくる手助けすることに興味を持っている。いつかやってくる未来に対して、ぼんやりとして、起こりそうな範囲で過ごすのもいいが、本書を手に取り、作品を眺めながら、起こりうる未来をぼんやり空想してみてはいかがだろう。

(※画像は、出版社からご提供いただきました。)

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