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あぁ、家に帰りたい。-1-

「一生分かりあうことのできない人のもとに、私はとても帰りたい。」

そういえば私は、これまで一度も母に褒められたことが無い。
一度も、その記憶がない。
何が気に入らないのか、やることなすこと全て否定してくる。

母が嫌いで、母のような女になりたくなくて、いつも心で距離を取り、今は物理的にも距離を取っている。
それなのになぜだろう。私はGoogleMapで実家に帰ってみたり、過去のことを頭でめぐらせてみたり、心の中でよく帰省している。

そうか、私は帰りたいんだ。


だけど母のいる家に帰ることは大きなストレスで、帰れば必ず後悔する。
帰らない方がいいのは目に見えているのだ。

じゃあ私はなぜ帰りたいのだろう。


私はとにかく家に帰りたい。母のいないタイミングで実家に行きたいわけでもない。家を買って帰れる場所を作りたいわけでもない。
「家に帰りたい。」それはすなわち「一生分かりあうことのできない人の元に、帰りたいということ」だ。

こんなに嫌いなあの人の元に、帰りたい。


私にとってこんなことを考える自分の脳みそが悍ましい。生物の定めなのか、無条件に母を求める幼心なのか。

「母親を大事にしなければならない」という社会通念は洗脳に近い形で私たち人間の心に刷り込まれ、それを守れない者達を常に傷つけ続ける。
母を大事にできない罪悪感を、せめても「家に帰りたいな」と心で思うことで帳消しにしようという、私の中の防御反応なのか。「私は正常ですよ、母がおかしいんです。」そう言い聞かせてバランスを保とうとしているのか。

これは40歳になった私が、母を捨てたい気持ちと母に会いたい気持ちで揺れ動く心を、どうにか冷静に考察してみた記録である。


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