ものかたりスタジオ

ぼくがnote をやる理由

まずこの「ものかたりスタジオ」ってなんやねん、というところなんですが「自分が体験した事を作品化する」という作業を指しております。


僕は、役者として生活することを夢見て、早17年間、こうして演技のある日々を過ごしています。華やかな毎日ではないけれど、大好きなお芝居に触れられる生活が続いていることに喜びを感じています。

とは言え、毎日目まぐるしくお芝居に明け暮れているかというと、そうでもなく、どこかに出演のチャンスはないかと、模索しながら我慢の時を過ごしたり、時には、出演以外の仕事で、活動費を捻出していたりもします。

実のところ、この辺りの話を含む「役者論」みたいなものが、役者それぞれに存在していて、皆それぞれ異なる考え持って、己の活動に向き合っているので、時より、その役者の定義の議論が、すれ違ってしまう場面に出くわす。「役者以外の仕事でお金を得ていては役者とは言わない」なんて理論もある。僕は、人それぞれ異なる意見を持って活動している事こそ、健全であると思っているのですが、すれ違う時に、生じる衝突に、心痛めるのは、毎度、勿体ないなぁと感じる事もあります。色々投げ打って取り組んでいる人が多いだけに、頑とした意見になるケースが多いからなのかもしれない。

事象や行為を分解して考えてみて、心地良く携わる方法を考えてみる。

「芝居」についてじっくり考えて、僕が把握できている別名称は、人生最大の「好物」となる。断じて小声で書きますので書いたこと見逃して頂きたいのですが、実のところ、お金が発生している発生していないはあまり気に留めるところではなく、草むらでもやっていたいくらい。子供の頃に遊んでいた大好きなサッカーみたいなものだから、お金貰わなくても本当はやりたい。これ言っちゃダメって人、割と多い。けど、根源的な処に立ち返って言うと僕にとってはそういうものだ。

がしかし、あくまで根源的にはである。何故なら、人生で最も多くの時間を傾けるものであり、ここにお金が発生しないというのは、社会の中で生きていく上での条件を果たせていないということになってしまうし、ここでの価格が上昇する事は自らの活動には、他者に対しての貢献性があり、活動を続ける理由が社会的にも存在するという事になるからである。

ではでは、今度は「お芝居とお金」というものについて、考えてみる。

「お金」というものは、物々交換していた時代の成り立ちなどから分解して考えて「誰かの役に立った時に発生するもの」と仮定できる。

お芝居をする行為は、依頼した団体からすれば、作品を成した一員として感謝されるものとなるし、作家さんからは、文字を体現した事への感謝の対象になるかもしれないし、観た人からは、充足した時間を与えた者への謝礼など、人の役に立つ役割を担う行為なので、お芝居する事で、お金をもらう事が出来る。

ただ、その「出演する」という立ち位置に立って、生業としたいという人は、星の数ほど居て、先ほど述べた通り、草むらでもやりたいほど夢中になれる職業なので、倍率は著しく高く、受給が高額ではなくても、そのやり甲斐から、希望者は多く、席を奪い合っている状態がある。これは、別の職業にも言える事かと思いますが、もう一つ、二つ、事情が絡まり合っておりまして、なかなか道は険しくなっております。

僕らの仕事は、毎日決まった時間に仕事があって、決まった額の給与が発生するものではなく、給料制の事務所に所属している人以外は、全て単発の仕事になる。レギュラーで入ったとしても60代定年まで続く永続的なものではない。1つの仕事に対していくらという形式になる。なので例え1日で40万円の仕事をしたとしても、次の月に2万円しか得られない場合もあり、とても不安定な仕事なので、月の給与を平均化する為にも「出演する」以外でも稼ぐ。

そして「出演する」という行為のみで、満足いく生活費を捻出出来ないからと言って、イコール、能力や魅力が足りないかというと、そうではないケースがある。その事については、コチラの記事『最近感じている事』に詳しく書いたので読んで頂きたい。

では、この単発で不安定で、取り合う人も多く、魅力や能力が、出演費とイコールにならない現状に対し、どの様な打開策があるか。

狭いパイを取り合うのを避け、海外での活路を見出す人もいる。狭いパイを取り合う状況の中で、技能を磨き続ける以外に大事になってくる事は何か。

「活動を継続させる術を持つこと」なのだ。

それが例え、親の支援でも、アルバイトでも、興行収入でも、逆にその為の「出演する」でもいい。活動を継続させる事に活路はある。何故なら、時代によって求められるものは変化する訳だから「その人の魅力」と「世の中が定義した価値」がタイミングによってイコールにはならない場合、点ではなく、線の様に活動する事によって、魅力と価値が重なり、沸点を迎える可能性があるから。

そして、芝居というものの定義に幅を持たせるという企みはどうか。

僕はお芝居というものが好きだ、お芝居を継続させる為に別のことをやるという考えにも悔しいかな、なかなか行き着かない。ここからはただの僕個人が新たな挑戦をする為の大義名分になってくる。お芝居を今一度、分解してみる。

「誰かが書いた物語を自分という媒体を通して、人に届ける行為」それが演じるという事であると定義する。

「自分を通して物語を届ける」を「芝居する」と同義とすることによって「出演する」以外でも、やれる事がいくつか増える。

それを実証する場所、それが、今回の「ものかたりスタジオ」である。

「芝居する」と同列にある「自分を通して物語を届ける」という行為をこのホームベースから発信する。

何を言っているのか、とても分かりにくいと思いますが、今までもやってきた様に、エピソードトークをしたり、イラストを発表したりなど、役者の技能を持って行う活動をこの場所を基盤に展開するというお話です。

「ものかたりスタジオ」とは、山岡竜弘イベントで皆さまと一緒に考えたイベントタイトルです。役者は役を持って、ものがたる。イベントの主軸であったエピソードトークでも、物を語る。僕の目指す形にぴったりという事で、濁りを抜いて命名しました。

この活動自体の名前にさせてもらい、このnote の名前にもさせて頂きました。

さて、「ものかたりスタジオ」が贈る有料記事

第一弾は

『お笑いをやった事がなかった僕が、2年目で、M-1グランプリ2回戦に、進出した方法』です。

いつも通りのエピソードトークの様な物語性を持ちつつ、実際に通過した際のノウハウを掛け合わせた文章です。

実際M-1に挑戦する方も、エピソードを楽しみたい方も、この「ものかたりスタジオ」の活動を応援して下さる方も、お読み頂ければ幸いです。


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山岡竜弘の「ものかたりスタジオ」
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