冒険を撮らない冒険家のドキュメンタリー
はじめに
YAMANOVAは発足以来、アウトドアレーベルとして活動している。
トークイベントシリーズ「YAMANOVA」からスタートし、ウォーキングワークショップや田植え体験など試行錯誤で様々なイベントを開催してきた。現在も長野県の長和町のエコーバレースキー場にてRUN & BEERという野外イベントを企画したり、ヨーロピアン・アウトドア・フィルム・ツアー(E.O.F.T.)というヨーロッパ最大のアウトドアフィルム上映会を日本に持ってきたり。
(残念ながら今年、両方とも新型コロナウィルス感染症の影響で中止せざるをえなくなった。)
この記事を書いている僕、山本は野外文化活動家としてアウトドアフィルムとアウトドアコーヒーを軸にYAMANOVAでの主な表現活動としている。
現在製作している映画プロジェクトが、このnoteでも展開している定期購読マガジン「冒険家 阿部雅龍|蔵出し生ドキュメンタリー」で少しずつ公開しているプロ冒険家、阿部雅龍氏のドキュメンタリー。
前置きが長くなったけど、今回は創ろうとしている映画に立ちはだかる大きな障壁について書きたいと思う。
※この記事は、有料の定期購読マガジン「冒険家 阿部雅龍|蔵出し生ドキュメンタリー」内の記事でもあるため、記事単体を無料設定してしまうとnoteのルールでマガジン購読している人以外には表示されない仕組みなので、有料記事です。途中までは無料で読めますよ。
映画つくりの障壁
さて、映画つくりの大きな壁、それはタイトルにも書いたとおり、【冒険家のドキュメンタリーなのに、冒険シーンは撮影できない】だ。
正確には、阿部氏がソロ冒険家として単独での冒険行には、いかなる人の動向も許さないため、僕自身が撮影できないということ。
よって必然的にソロ冒険シーンは阿部氏自身がセルフ撮影するのである。
彼はそのために若かりし頃、カナダに映像制作の修行に行っているのだ。
※阿部氏自身が映画つくりのために若い頃にビデオグラファーとしてカナダへ撮影修行に行った経緯は、定期購読マガジン内で連載中。定期購読開始月の以前に投稿されてる過去記事は単独でご購入となります。
ご興味ある人はnote内検索で
”冒険とはアートである〜ぼくが映画を創る理由”
と入力してしてみてくださいね。
ソロでの冒険である以上、サポーターが同行できないのは当たり前だが、撮影者もNG。もし彼の命に危険が迫ったりした時、同行者はきっと彼を助けるだろう。逆に、同行者が死に直面した時に、彼は見過ごすことができないだろう。僅かでもそういう可能性がある以上は彼のソロ冒険において他者が同行することはありえないということなのだ。
さて、彼が撮影した素材が使えるとはいえ、冒険家のドキュメンタリー映画で「冒険」シーンを自ら撮影できないのは、ある意味で致命的である。
冒険前に撮影リクエストはできたとしても、思い通りの絵が撮影できるとは限らないし、ドキュメンタリーの対象者自らが撮影するため、冒険中におこる様々な出来事を客観的には撮影できない。
もちろん、ぼくが同行撮影できたとしても、リアルな素のままの姿は絶対に撮れない。当たり前だが撮影者から見た絵になるのだし、阿部氏一人の世界でなく、撮影者が介在する世界を撮影するということになるからだ。
まあ、ドキュメンタリーではこれは、当たり前なのだけれどね。
そう、その当たり前ができないから考えに考えた。
昨年の秋頃までは、ぼくの他にもう一人チームに監督・撮影・編集として映像作家の野澤クニオ氏がいて、彼と共に結構悩んだ。七転八倒的試行錯誤と迷走を繰り返した。
(彼は昨秋、このプロジェクトから去った。その経緯はコチラに書いてます。↓↓↓↓↓)
そんな、試行錯誤から生まれたのが、阿部氏が1回目の南極に行く前までの素材をまとめた短編動画。彼の活動や人となりをわかってもらうプロモ的な短編を創ろうということで創ったものだ。
短編動画制作の目的
正直なことをここから赤裸々に書こうと思う。
この短編動画は、本編とも言える長編ドキュメンタリー映画製作にむけて必要なステップ=手段として、野澤くんと戦略的に位置付けたものだ。(今から思うと小手先感のある戦略なのだが...)
目的は2つ。こうだ。
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アウトドアとスローライフのクリエイティブレーベル。自然とつながり、自然を身近に感じることで大切なチカラを取り戻す。自らの意志で自らハンドルを握り、人生を進んでいく。そんな生き方を、映像やイベントとコーヒーを通して提案しています。