うっせえ、俺が「世界観」だ。 _#1 出会い
#だからそれはクリープハイプ
更新日: 2023/03/27 (締切4月10日まで加筆する)
#1 出会い
私は1999年生まれ、だから大体西暦の下二桁が年齢だ。2014年に「百八円の恋」がリリースされた時は、14歳、中学2、3年生だったわけだ。
『色んな意味で優しく包んでくれますか?』という曲の中には「十代特有のこの感じ」という表現がある。そう、あの感じだ。西洋の小説や映画では、不安定な情緒や行動を伴うティーンに対し、「ホルモン過多」と言うようだ。僕の中でも、僕の特有の、かつ、人並みに「十代特有のあの感じ」があったのだ。人間関係、性、学校の成績、自己の確立… 言って並べるのは簡単だが、どれも重々しく、それぞれの問題はまさに戦争であり、深刻で激しいものであった。漠然と何をやっても満たされず、いや、満たされないのは確かだった。目の前の光景は常にぼんやりと色褪せ、ちゃんと呼吸しているはずなのに十分に息が出来ず、いつもどこか息継ぎの出来る場所を求めていた。
ラジオの電波はどこからやって来るのだろう。もちろん、物理的な経路は知っている。どこか遠くの空からやってきた電波を、近所のホームセンターで買った自分の小さなラジオが受け取り、それを再生する。そんなことを考えると、ラジオの世界はもはやファンタジーである。解放感なんて皆無、鬱憤で窒息寸前の変化の乏しい生活に、ちょっとした風穴を開けてくれる夢の箱である。そして、クリープハイプとの邂逅は、もうお分かりだろうが、やはりラジオであった。
イタイ… イタイ… イタイ…
正気か? と思った。今でも覚えている。ちょうど修学旅行の準備をしていた夜だ。少し荷造りに飽きて、気分転換をし始めた。まったく、この若い男は気分転換ばかりするのだ。小さなラジオに、ちょっと見栄を張って買った中途半端に高いイヤホンを繋ぎ、ティーン向け某ロック番組を聞き始めた。パーソナリティーは「社会の先生」という役で、変わった名前のバンドマン、おそらくギターボーカルの男であった。男は優しく落ち着いた声で、自身の曲を丁寧に紹介をする。その鋭く殺意のこもった歌声と、呑気にしてると喉元を切られかねない凶器のようなギターバッキングは、僕の耳穴の壁面に生々しくへばり付く。何年も取れなかったその感触は、今でも密かに残っている。
修学旅行中、「イタイ、イタイ、イタイ…」のフレーズで頭の中はいっぱいだった。首都圏への旅行と同時に行われた某大学の研修や、少し雨の降ったアミューズメントパーク「夢の国」での遊びは、「イタイ…イタイ…イタイ…」で溢れかえっていた。今度の風穴は大きく、何か知らない生臭さも入り込んでくる。その妖しい希望と思しき出現に、嬉しくも痛い状態であった。
… 初め、カラオケで歌うと痛い目で見られた。コピーバンドだとそんなことはなかった (きっとバンド補正)。いったい何が、誰が痛いんだと思われる。いや、そんなところが寧ろ痛快で、刺激的で、まさに歌っていたいのである。クリープをカラオケで歌って自然となったのは、僕がいた田舎じゃあ、「栞」が流行った以来のことである。わざとらしくて、関係のないの話。
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