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知能指数の指標
あたまのよさ
賢さの基準とは?
それは、近代に於いて探求すべき重要議題となっております。
学歴だけがモノを言うわけじゃないよね。
地頭の良さっていうか。
でも地頭ってどうやって測るん?
自閉症の子は、天才と白痴の差が激しい。
境界線が分からんのう。
日々、雑談に混じって「哲学分野思考」が知らぬ内に話題に上げられていきます。
こういうことを考えるのは、哲学の領域なのですよ。
今回は、賢さの数値はどのように算出されるのかにゃ?
というテーマです。
どうぞよろしく
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歴史の視点からの学者
かつての日本では、学者といえば僧侶でした。
仏教を勉強すれば頭が良くなる、とかではなく、浸透した学問が主に仏教だったのです。
小さな集落から文明が始まり、縄文〜弥生と時代が進むにつれて行動力のある人が賢いという認識が育まれていきました。
当時は無鉄砲という言葉がなかったのもあり。
言葉というか、そういった認識さえ生まれていませんでした。
鉄砲なんてねえ、縄文の時代にはそのくらいは存在しましたけどね。
火薬はホントは存在したのですよ。
主に、九州辺りで。
糞便を発酵させて硝酸くらいは作れましたので。
火薬の作り方は手間さえかければ案外簡単です。
そして九州人の祖は、非常に勤勉な性格でした。
しかし、鉄砲は危険ということで禁止され、古墳時代には姿を消しておりました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した弩がチート過ぎるということで、使用禁止になったのと同じ理由です。
それはおいといて。
ここで言いたいのは、勇気と無謀の違いですよ。
過去から学ぶ、という意識が大きく欠如しておりましたので、無謀とも思える行動を取る人が賢いとされていた時代もあったということです。
野蛮だなんて笑う事ではないですよ。
学が浸透していない時代の認識なんてそんなものです。
飛鳥時代から急激に広まった仏教により智を得るものが増え、認識が急激に育っていきました。
仏門を叩く=学者として人生を歩む
近代までは、そういった認識が強かったですね。
平安時代が末法の世と言われたのは、知恵遊びが最高次元まで育ったからですね。
これ以上は宇宙のどこを探しても存在しないほど、頭を使った遊びが一般的となりました。
古代ギリシアも良いところまで行ったのですが、真の意味で浸透しなかったということから今一歩及ばず。
普通に考えてさあ。
文のやり取りの際に、歌を添えなければ阿呆だと思われるんですよ?
短歌。
しかも何通りも意味を孕む、遊びゴロロ満載の上手いことのてんこ盛りでなければ相手に見限られてしまいます。
こんなん、生きにくいったらないでしょ。
歌の名手なんて肩書、重荷にも程がありますよ。
阿久悠くらいの感性の持ち主でないと、大成出来なかったのです。
例えば枕草子は趣ある随筆集と言われていますが、当時の人が読んだら
「なにコイツ。アホ?」
と言われます。
清少納言の書いたとされるあやこれや、実は一部からは失笑の嵐でした。
なんてはしたないんでしょ。
みっともないわね。
だから、万年少納言なのよね。
そういう内容です。
清少納言の書いた枕草子。
これは定子さまをあざ笑う内容でした。
題名に枕なんて使ってはいけませんよ。
帝の枕でしょ、なんて言われてしまいますよ。
清少納言のバックには定子さまがいらっしゃる。
その勢力から生み出されたものは、細心の注意を払って全方向に向けて恥ずかしくないものでなければならない。
源氏物語は、勝利のお話です。
これも実は嫌味の連発集なんですが、彰子さまの派閥から生み出されたものであり、当時は勝利の別名であった源氏を掲げていることから、そのころの朝廷で最も勢いのあった女御は彰子さまであった、と伺い知る事ができます。
そのように知恵比べの対立が激しかったことが読み取れる上に、枕草子という題名を許してしまった定子さまは、実質的に負けを認めてしまった形になります。
しかし、枕詞というものが日本文学には存在します。
これは、邦楽の歌詞に突如として水増し且つ強調の意味で使われる英語の歌詞みたいな、仮接続の言葉です。
例えば、たらちね は母にかかる言葉。
母への愛慕を連唱し強調することが出来るうえに、語呂も良くなります。
その枕の意味を定子さまに当てはめれば、お上とはおしどり夫婦である、という意味にも取れますけどね。
しかし、ここまで認識を広げるのは少し大変。
そして、作品の発表そのものも、実は練りに練ったものでなければならない。
モロに知性が現れますからね。
無謀な賭けに出るのは控えねば。
という訳で、ここでは彰子さまの勝ち!と見せかけて実は定子さまの勝利じゃないの?となる訳ですが。
真の勝者は哉子さまでした。
文学作品を発表しませんでしたが、実は知恵の出所は哉子さま。
彰子さまは、哉子さまの歌などを問答無用で取り上げたりしました。
そして、底から光る智を存分に朝廷に見せつけました。
定子さまはなんとか応戦しますが、哉子さまの認識が根底にある智には敵いません。
しかして、お上は即位した瞬間から神の加護が宿る為、霊至眼がギンギンに働き、朝廷の混乱の原因を冷静に見極め、実質的な勝利は哉子さまがつかみ取りました。
ややを東宮にあげた。
絶対的な答えがそれです。
しかして、あまり高度な文章は大多数の阿呆層には理解されません。
そして、程度の低い文学作品は理解に易く浸透しやすい、という宇宙の法則があります。
そうして
「文字が書いてある! すごいね!」
ということで、実情ガン無視で日本を代表する文学として世に広まってしまったのです。
これは、失礼にも程がありますがワンピースが国民的アニメになったこと、シャーロック・ホームズが何故かバカウケしたのと同じです。
分かりやすい。
手軽に感動出来る。
大衆向け作品ということですね。
一部で囁かれていますね。
「なんであんなのがウケてんの? もっと深くて面白いの、あるやん」
しかし、確かに発行部数などの数字はワンピやホームズが勝ちを示している。
あんまり難しすぎる作品は、理解に至らず「読めない」人が出てくる。
多くの人の意識に入らなければ、どんなに中身が凝っていようと頂点に立てないのです。
やはり、何と言っても頭から強くは基本である。
という認識は平安時代では常識でした。
そして、文字、語彙、心の豊かさっぽいものを同時に学べるとして仏教が重要視されていました。
貴族の多くが旬を過ぎた頃に出家をしたのはそのためです。
自分の為に勉学に励むのもそうですが、家を強くするために子に深いことを教える目的で。
智を伝達する相手は、多ければ多いほどよい。
影で活躍して、家の発展に尽力しよう、ということで。
中国の科挙なども、秀逸な漢詩を作ることが強く求められました。
上手いこと言う=秀才
表現力と感性と空気読みの力と暗記力と…。
朱子学などは、優しさを学ぶのにいいかも?ということで採用されていました。
道徳なるものの概念の礎になっておりますね。
しかし、完全なる思想ではないので、今の時代に朱子学を学ぶのは歴史の勉強以外ではあまり役には立たないでしょう。
先人たちも苦労したんやなあ、という心を読み取れれば御の字です。
などの例を出したところで
真の知力とは何か?
世の中でのし上がる為に必要となるのは、記憶力です。
忘れっぽいのは仇になる。
何故って、きちんと学校の勉強を順を追って分析してみれば分かります。
暗記という前提があって、初めて前に進めるようになっている。
人間の脳には、記憶の棚なるものがあります。
これは私が勝手に名付けたものですが。
仮の記憶置き場です。
知識をチョイ置きしておく領域。
この棚にある知識を脳に定着するように組み立てて、知恵として脳に刻み込むことで人間は知識そのものを蓄えることが可能となります。
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現世では、記憶第一段階が少ないと大成しません。
一般的な大卒者の記憶の棚の数は平均で36個。
7分で丸暗記出来る数が最大36個、ということになります。
そして丸暗記を8回以上繰り返すと、記憶の第二段階まで知識として引き上げられます。
暗記の領域を越え、脳の先の霊魂の認識に刻みつけることが可能となる。
これは、いわゆる頭の中の記憶のタンスです。
よく言いますよね。
タンスの中を引っ掻き回して記憶を探した、とかいう表現。
ソラで言えるようになるとか、お手本を見なくても身体が覚えているとかはこの辺りになります。
更にその先の記憶の最終段階となると、職人レベルまで引き上げないと無理です。
大学教授レベル。
准教授は残念ながら…。
なにかあるんですよ、やっぱり。
教授になる人は、他と少し違う。
ちなみに、私は極端に物覚えが悪いことを自負していますが、記憶の棚が6しかありません。
ミニテストなどで満点が取れないタイプ。
何度も何度も覚え直しが必要になり、勉強の為の時間が人の何倍も要するので、学問の扉を叩くのに向いていません。
肉体労働系でも、覚えが悪いので常に全力で取り組み、死にもの狂いで覚えます。
ではなんでこんなに話題が豊富なの?(自分で言うのも難ですが)
それは、最終段階の記憶が多いからです。
細かいことはよく忘れますが、要素の大まかな部分は何となく分かる。
記憶の不可思議なカラクリです。
興味のあることはよく覚えている。
それは勿論ですが、まあ、なんていうかな。
雛形をいっぱい持っているってことです。
そして乏しい記憶力でも認識が蓄積しやすく、覚え直しが易い、という。
しかし、こういうことはあまり言わない方が良いです。
勝ち気な人が、よく理解もしていないのに
「最終段階の記憶、俺も持ってるから」
とか言ってイキリ倒し始めます。
第一段階すら怪しくね?そういう人は。
やたらとイキリたがる人というのは、無謀な行動に出がち。
無謀で突っ走ることも時に必要ですが、ブレーキが壊れているのでどこかにツッコむまで自分の意識が止まりません。
誰かに殴られるまで辞めない。
脳機能が壊れています。
そして知恵が足りないので、何故殴られたかも分からず、殴ってきた相手を恨みます。
そして意味のない復讐の為に、謎の熱意を以て努力しますね。
それが、知性の低さの現れですよ。
一般的なIQは、第一段階の記憶の棚が多いことを言うようです。
IQテストをしても、私は全然解けないです。
短期記憶が乏しいため、すぐに忘れちゃうので無理。
つまり、短期記憶力。
そりゃ短期記憶がないと第二段階記憶までの到達は到底無理ですが、しかし第一段階記憶の棚の要素は、同時に忘却しやすくなっています。
IQを絶対的な盤石なものとするにはEQを上げないといけません。
EQは第二段階記憶の棚と直結します。
EQとはEmotional Intelligence Quotientの略称。
自身や周囲の人達の感情を適切に察知し、うまく扱う能力のことです。
EQに注目が集まり始めたきっかけは、1990年代にアメリカの心理学者ピーター・サロベイ氏とジョン・メイヤー氏が、研究結果からビジネスにおけるEQの重要性を説いたことでした。
つまり、思形理論です。
感性理論を先出させてばかりだと、ちっとも知能が上がらないということです。
これは或る領域に達すると反転し、感性理論こそ知恵を伸ばすスタンスとなるですが、大多数はそこまで到達出来ませんので思形理論で。
つまりきちんと整合性を取った理論展開を行うべきという結論になります。
あー。
学歴主義の人は後者を採用しないでくださいね。
学歴至上主義=感性理論のど真ん中
ですので。
学歴をずっと前面に押し出している人は、そこに自己のアイデンティティを見い出してそれだけを心の拠り所にして生きています。
人生を棒に振って犠牲の上に今の自分があるという意識が根底にあり、この辺りの意識の基礎となっている礎石を引っこ抜くと、足元から崩れ落ちる人が多い。
要はプライドですわ。
学歴なんかに頼らなくても、頑張れたあなたは凄いよ、と言っても崩れ落ちトラウマに支配された人の耳には届きません。
それほどまでに脆い。
何故なら、学歴しか戦う武器を持っていないからです。
他の戦法に目を触れず、学歴、それだけに能力を全振りしてきた経歴から。
追い詰められて生きてきた。
丸腰の自分でも、自分は自分だ、と思えない。
そういう風に自分を躾けてきた影響。
それは、ハンターハンターのコムギと同じ。
プライド、自分の感情を基盤にしている。
そういった理論を、感性理論と言います。
他にも定義はありますけどね。
これが分からない内は、地頭が悪いと言わざるを得ないです。
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ニワカパロディ#23 に出てくる記憶定着理論は、第一段階記憶の棚に置くまでの前段階についてです。
4コマ目の第三段階電子まで記憶粒子がシナプスに染み渡り、短期記憶が可能となります。
以上のことを考慮すると、知能の高さとは一概に何かといえない上に、それっぽい証明には途方もない説明が必要になります。
更に、過去記事の記憶のランドルト環。
途中で記憶の輪が途切れて、知らぬ間に記憶リセットが行われるという知力を脅かす爆弾を抱えています。
頭が良いってなんだろうね。
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ぴかっと なあに
こんなこいるかなのキャラに、知性について体現している分岐キャラがいますね。
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教育テレビ、恐るべしですよ。
意図せずとはいえ、こんな人間の意識の根っこにあるキャラを生み出すとは。
だから、モデルとして採用したんですけどね。
まず、企画部の人はぴかっとタイプが向いています。
頭に電球💡が出て「ピーン!」と閃く人。
しかして、企画部の人はなあにタイプの人に相談する必要があります。
ぴ「これ、実現できる?」
な「う〜ん? 調べてみるね〜」
そして二人で協力し、現実的な案か、実用に耐えるかを模索していきます。
なあには閃きが苦手。
牛歩どころじゃない蝸牛の歩みで調べ物を続けます。
しかし、なあにが居ないと商品化が叶わない。
なぜって、ぴかっとは短気だから。
すぐに功を急くんですね。
頭の回転が早い=早期決着でないと気が済まない。
そして慌てて作った商品をぱっぱと発売しますが、機を外して全然ヒットが出ない。
急ぎすぎだよ。
なあには「そうじゃないのにな」と思いながらも黙って見ています。
ぴかっとを怒らせたらウルサイから。
そして口減らずで、一つ言うと百倍返ししてきます。
閃きの天才ってそういうものです。
ぴかっとには制止役が必要。
そして、なあににはマネージャーが必要です。
誰が適任かは分かりません。
その状況によります。
ちな、このキャラについている観察子はなんなのかと。
ぴかっと Ω8 Ψ8
なあに Α1 Ψ2
アイディアに生きる人は、白鳥の涙で案を召喚し易いってことです。
真実を見抜く。
しかし、真実を目の前にした途端に正しく真実を扱うルートを拒否する。
自分で考えている訳ではないのですよ。
アイディアを4次元の波から召喚しているのです。
降ってきた、そういう感じ。
編み出すとは少し違う。
知りたがりは、自分の環境、つまり空間観察子Αを知ることから始めます。
そして自己精神球ミクロコスモスの回転を上げて、叡智次元を開拓していきます。
こっちが編み出すという感じ。
なあにというキャラは、いわゆる自閉症なのです。
外の状況を遮断する。
そうすることで、真実に辿り着きやすくなります。
人間は、定型、アスペ、自閉の全ての発達タイプを得る必要があります。
これ即ち、非定型型発達です。
定型発達の人の思考も、アスペルガー症候群の思考も、自閉の思考も分かる上に切り替えることが可能な人。
知能レベルはここでは除外します。
知的障害者は、総じて3タイプのどれかに偏りすぎているか、記憶の棚が極端に少ない人ですね。
アファンタジアは自閉タイプのど真ん中ですが、ここで知能指数及びEQが大きく影響します。
バカと天才の両極端。
サヴァンは、第一段階記憶の棚の数が極端に多い人です。
しかして定型発達からは大きく外れているので、常識を全ブッチするために変人に見られます。
人間の記憶には限界が生まれます。
例えば、私事ばかりで申し訳ないですが、私はブラインドタッチがどうしても出来ません。
文字を出力するという行動そのものの記憶容量が肉体の限界を迎えているためです。
手書き文字という認識を先に覚えました。
そして、9歳の頃かな。
ワープロで文字を打つことを覚えました。
それからPCを購入し、キーボードを打つ練習をしたのですが、何回ソフトで頑張ってもブラインドタッチを行うことは無理でした。
ホームポジションという概念は覚えられても、人差し指に来るのが f j である、と丸暗記が出来ないのですよ。
a やENTERキー、バックスペースくらいしか、そらで打てないんですね。
キーボードをちょいちょい見ながら打ち込みをしています。
こんなにチンタラ打っていたら、ワープロ検定で1級を取れないですよ。
キーボードを丸暗記し、ミスタッチを極端に減らさないと。
部分的にしか覚えられない。
これが第一記憶段階の棚が少ない人の宿命です。
肉体としての第二段階の棚まで到達するのに途方もない時間がかかる、という。
人間の生活は、覚えることが多いです。
いきなり最初から出来る人なんて殆どいません。
優秀そうに見える人は、背伸びをしているだけです。
常に満身創痍のつま先立ち。
それで、みんな騙されちゃうんですよね。
そして、部分的、まだらに汎ゆることを記憶していき、なんとか日常生活を営むことが可能となっております。
子どもと接する時に忘れてはならないのは、認識のすり合わせです。
自分が知っていることを相手が知っているものだと思って、無理矢理知識レベルを合わせようとしては駄目です。
更に、ゆっくり覚えていかないと、脳はすぐに回路が焼き切って劣化が激しくなっていきます。
こういったことを考慮しない人は、知能レベルが低いと言わざるを得ない。
EQが低すぎます。
小学校5年生にナチュラルナンバーなんて教えないでくれる?
実は、高校数学なんですよね。
合同と相似で面積が正確には導き出せないって、わかんないかな?
定義を忘れているよね。
ずっとΔってこと?
そんな曖昧な認識だと、数学はこじれますよ。
それは既に数学ではない。
クイズですね。
こういった細かいことを嗅ぎ分けるのが、本当の知力です。
総合的に
知能指数を正確に推し量るのは不可能に近いですが、そこそこ頭が良いだろう人を見分ける目安を羅列してみます。
・同じことを何回も言わない
会う度に話題が固定の人っていますよね。
そういった専門的な関係性ということで割り切っていればいいですが、普通はそうじゃないですよね。
いますよね。
話の持ちネタとかいう考えが強く、初対面の相手に必ず同じ話をする人。
これは記憶容量そのものが少ない人です。
やっとのことで持ちネタを覚えることに成功し、それが万人に通用すると思っていつも同じ手を使います。
正直、相手は苦笑いしています。
この手は、10代にしか通じません。
ガキ大将の心理です。
ちょっと知識を持った人には密かに見限られる行為です。
臨機応変という心を覚えるべき。
・話の論点をすり替える
これはその概念そのものを覚えてはいけない人がいます。
この認識そのものを攻撃の材料にする人がいるため。
知能が欠落しているとしか言えません。
そして、話の論点を何故か突然変える人っていますよね。
それはその人が劣勢になることを極端に恐れているせいです。
少しでも自分が攻められているとか劣っていると感じると逆上し、ヒステリックになります。
それを避ける為、話をコロコロ変えてくる。
記憶の第一段階の棚が、2つしかない人です。
猫並ですよ。
猫は、短期記憶の棚が極端に少ないです。
肉体の場合はですよ。
本体は違うことが多いです。
しかして勝ち気が過ぎると、プライドがあるのかないのか分からないような卑劣な手を無意識に使ってきます。
近づいては駄目な人です。
もしくは、認知症ですよね。
・空気読めない
アスペルガーは総じて低知能です。
場を読めないのは致命的としか言えません。
数回の失敗なら良いですよ。
なんか「外した」なあって。
それは誰にでもあります。
しかし、失敗を自覚し自分でそれを矯正出来ない人、いますね。
知能指数が低すぎ。
社会性がない。
マイペースで、そこがかわゆ♥とかポジティブに受け止めている人もいますが、それが許されるのはペットだけです。
基本、そこにあるのは見下しです。
自分より格下と判断した途端、そこで初めて愛着が湧く人っています。
しかして無神経なところがあるというだけでは知能指数は測れません。
でもさ。
10回も同じことを繰り返せば、気づきません?
自分の事なら尚更。
治せない人というのは致命的ですよ。
同じことで20回以上失敗する人は、気付けるほどの知能がないです。
幼児ならまだしも、15を過ぎてそれは駄目です。
・永遠思考
なにかあると、それが未来永劫続くものだと思いこんでしまう人。
酷いやらかしを見て、それがその人の全てだと思い込む人がそれです。
どこかで変わりますよね。
普通の人は反省し、同じことは繰り返さないですよね。
しかし、永遠思考の人はそうではないです。
そうだと思いこんだら、そこで固定です。
記憶のランドルト環で記憶リセットが起こると、ちょっとこじれます。
思い込みだけで生きています。
頭カチカチ。
一緒にいると、こちらが物凄く傷付きます。
・病気である自分に甘える人
私は発達障害だから、とか、HSPだから、とかで疾病をたてに自分に優しくしろと強制してくる人。
傷つきやすかったり、ドジだったりは仕方ないですよ。
しかし、姿勢ってもんがあるでしょ。
見限られますよ。
自分も同じ状況に陥ってみればいい。
ちょーウザいから。
自分だけはウザくても構わないって思ってるんですか?
これは、発達障害の人全てに当て嵌まる訳ではないですよ。
当然でしょ。
言うまでもないことだわ。
こんなくっだらないことが高次の認識ですって?
笑わせるわね。
こういった要素を照らし合わせるだけで、ボーダーかそうではないかを見極める手助けになると思います。
ホントに、ちょっとした失敗や健忘などは仕方ないんですよ。
人間だから。
しかし、その後の在り方で知性なるものが決定付けられてしまうのです。
酷いこと言った。
しかし本心はこうだった。
とかいうどんでん返しテクニックは、発生しないと思うのが健全です。
こじれたらこじれっぱなしが普通だと思うべし。
私はそういった趣旨の創作作品を見ると
「知能低めの掃き溜め」
と思います。
これは出すのが難しいんですよ。
だから、あんまり使っちゃ駄目ですね。
ヒトの心というのは、ガラス細工のように繊細で壊れやすいです。
アロンアルファで直そうとしても元のようには直らんのよ。
一回リセットして、イチから再構築しないと基本、無理なの。
そして、負の認識というのは引きずったり受け継いだりしてはいけないです。
負の認識というのは、自分の中だけで育てるものです。
他人がどう言ったとか、祖先がどのように伝えたとか、どうでもいいことなんですよ。
最初は100点。しかし減点方式。
それでも良いでしょ。
他者に言い触れて回らなければ。
加点もあるでしょうけど、それはよっぽどですよ。
挽回は無理だと思うのが基本です。
感性理論が人類の基本だから、そしてそのせいで苦しみが潰えないのだから、少しでも前向きに働くように意識を置くのが賢いヒトってもんです。
知ったようなことを書いて申し訳ないです。
それでは、さようなら。